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東京都暴力団排除条例の施行と暴排条項 後半戦

2011年05月25日
前回のエントリーの続きです。
更新しないときは完全に放置し、更新するとなると鬱陶しいくらい更新する気まぐれブログですみません。


さて前回は、
「東京都暴力団排除条例」は決して他人事ではなく、あなたの会社にも影響があるのですよ!
というところで終わっていました。
今回はその続き、ではどう影響があるのか、という点について触れたうえで、遠慮がちな提案の一つでもしてみたいと思います。

まず、東京都暴力団排除条例についてお話する前提として、各都道府県の取組みについて少しだけ触れておく必要があるのではないかと思います。
全国的にはじめて、条例レベルで総合的な暴力団排除を明確に打ち出したものは、「福岡県暴力団排除条例」で、2010年4月1日から既に施行されています。
ちなみに私は福岡出身なのですが、昔は「外車を見たらそのスジの人と思え」と教わったり、高校生の頃には通学途中の同級生が事務所(もちろん弁護士事務所などではありません)に連れて行かれたり、ということを見聞きしていたので、福岡県がいち早く対応したことに、「さもありなん」と思いつつも、少々複雑な心境でもありました。

そして現在、「NBL952号」によれば、2011年4月1日時点において、暴排条例が制定されている都道府県は46、施行されている都道府県は30にのぼるとのことです。
すなわち、東京に本社がある会社であっても、全国規模で活動されている会社であれば、それぞれの都道府県の暴排条例についてケアしておく必要があるということにもなります。
というのも、現在各都道府県で公布・施行されている暴排条例は、概ね福岡県暴排条例と同様の構成となっているということであり、その特徴として、暴力団などの反社会的勢力だけでなく、事業者も規制の対象となっているところに特徴があるからです。

しかしそうはいっても、全ての都道府県の暴排条例を調べてそれぞれに対応策を講じるというのは現実的ではないでしょう。
そこで例えば、東京に本社を置いているような企業であれば、少なくとも東京都暴排条例についてはじっくりと検討し、契約書にいわゆる暴排条項を盛り込むなどして、反社会的勢力との関わりをもたない、またうっかり関わってしまった場合には速やかに関係を断ち切るということを考える必要があるのではないでしょうか。

具体的に東京都暴排条例の条文を採り上げてみますと、「第3章 都民等の役割」には、以下のようなことが規定されています。


第18条 事業者は、その行う事業に係る契約が暴力団の活動を助長し、又は暴力団の運営に資することとなる疑いがあると認める場合には、当該事業に係る契約の相手方、代理又は媒介する者その他の関係者が暴力団関係者でないことを確認するよう努めるものとする。
2.事業者は、その行う事業に係る契約を書面により締結する場合には、次に掲げる内容の特約を契約書その他の書面に定めるよう努めるものとする。
一 当該事業に係る契約の相手方又は代理若しくは媒介をする者が暴力団関係者であることが判明した場合には、当該事業者は催告することなく当該事業に係る契約を解除することができること。
(2号以下省略)


つまり誤解を恐れず単純にいえば、いわゆる「反社チェック」を行ったうえで、契約書には暴排条項を盛り込みましょうね、という努力義務を企業が負うこととなっているのです。

そして「第5章 違反者に対する措置等」においては、以下のような規定が設けられています。説明がわかり易いのでNBLから引用します。


(略)暴力団と知らずに取引を開始してしまい、関係遮断をしたいが踏み切れていない者については、自主的な関係遮断に向けた手続となっている。すなわち、利益供与の事実を自主申告し、関係遮断を警察に誓約すれば勧告をされず、警察等による助言・指導や保護措置がなされるが、このような適用除外に当たらなければ公安委員会による勧告がなされ、これにさらに違反した場合には公表されることになる(略)


※強調部分は管理人によるものです

つまり、うっかり取引をしてしまった場合には罰則こそないものの、場合によっては企業名が公表されてしまうという、レピュテーショナルリスクが存在するわけで、これは企業にとって大きな問題となり得ます。

さらにいえば、蛇の目ミシン事件最高裁判決以降のコンプライアンス、内部統制に関する議論の流れから考えても、上記のような
      反社チェック → 暴排条項
という対応すらしていなかった場合には、取締役の忠実義務、善管注意義務違反を問われる可能性は以前にも増して高くなってきているものと考えるべきでしょう。

以上のようなことから、企業法務担当者の皆さんとしては、「反社チェックと暴排条項」、これだけは忘れずに対応していく必要があるのではないかと考えているわけです。
なお、暴排条項のテクニカルな部分に関しては、以前に何度か紹介していますので、ここでは割愛したいと思います。ご興味のある方は、前回のエントリーから辿って頂ければと思います。

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東京都暴力団排除条例の施行と暴排条項 前半戦

2011年05月24日
東京都暴力団排除条例が、2011年10月1日から施行されます。

このBlogでは過去に何度か、いわゆる「暴排条項」について書いてきました。
取引の相手方が暴力団関係者だった場合には契約を解除できる、というようなことを契約書に盛り込むアレですね。

(参考)
・「暴力団排除条項について考えてみた」シリーズ
・「反社会的勢力対応のいま -金融法務事情1901号より」

昨年4月頃から金融機関が、銀行取引約定書や普通預金規定などに暴排条項を盛り込むケースが増えてきているようですが、特に後者については導入時にいろいろと苦労があったという話を聞いています。
さらには全国銀行協会暴排条項の参考例を公表するなどしており、いよいよ暴排条項に対する認識が高まってきている状況ではないかと思います。

さてそのような中で、「東京都暴力団排除条例」が公布され、今年の10月から施行されることとなったわけです。
田中克幸弁護士、鈴木仁史弁護士、清水保晴弁護士による、この条例に関する詳細な解説が、NBL952号に掲載されていて、これがまた非常にわかりやすいので、法務担当者の皆さんには目を通しておくことをお勧めします。

話は少し逸れますが、私の個人的な感覚からいって、かなりの大企業さんから契約書案を提示された場合であっても、暴排条項が盛り込まれていることは、現時点では1~2割程度のように感じまています。
金融関係の方々は割と早くから対応をされていて、既に何らかの契約書を取り交わしている取引先との間で、「反社会的勢力と関係がないことの覚書」などをあらためて取り交わすケースが見受けられましたが、その他の業界ではまだまだこのあたりの認識がそう高くないように思っています。

しかし今回の「東京都暴力団排除条例」は、
あなたの会社にも影響があるのですよ!
ということをお伝えしたいと思います。

しかし今日はここでタイムアップ。
続きはまた近日中に書きたいと思います。
(感じの悪いバラエティ番組のような終り方ですみません)




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コーポレート・ガバナンスと社外取締役

2011年04月03日
「東証上場会社 コーポレート・ガバナンス白書2011」が、3月22日付にて、東証のホームページにアップされています。

そんな折。
日本経済新聞の「経済教室」のコーナーでは、3月31日に「コーポレート・ガバナンス 経営者の交代と報酬はどうあるべきか」の著者である久保克行先生、翌4月1日に全国社外取締役ネットワーク代表理事である田村達也さんのご意見が、「企業統治の論点」というテーマのもと、掲載されていました。

久保克行先生の上記著書はこのBlogでも以前ご紹介したことがあるのですが、非常に膨大なデータを基に、経営者の「交代と報酬」について論じられていてとても面白い一冊でした。そして今回の日経新聞の記事もまた、興味深く拝読しました。

さて、4月1日の田村達也さん。
こちらは紙面に目をやると、「社外取締役の義務化を」「国際標準、受け入れよ」「株主・投資家の意見反映」という大きな文字が目に飛び込んできます。
「全国社外取締役ネットワーク代表理事」という肩書が付されている以上、まあ、そのようなご主張は予想されるところでしょう。
中身もじっくり拝読いたしましたが、以下の言葉に全てが集約されているように感じました。


日本を除く世界の資本主義国の会社法制がこうした仕組み(社外取締役の義務化※管理人注)を導入しているのは、資本市場の活用が企業の発展成長に不可欠との認識に立ったものである。現在のわが国の資本市場と会社法制は世界の潮流から外れているため、海外資本が積極参加しにくい環境となっており、日本がグローバル経済の発展から取り残される事態となっている。



確かに監査役制度という海外に説明するのに難儀な制度があることによって「資本市場の活用」がしづらい面はあるかも知れません。
しかし社外取締役設置が義務化されていないことが、「日本がグローバル経済の発展から取り残される事態となっている」ことに直結しているという理屈は少し乱暴な気がします。
また、


財務省統計によれば2004~10年中の対外直接投資は48.1兆円、対内投資は6.5兆円となっている。こうした結果が生じるのは、海外では公開会社の企業買収が容易であるのに対し、わが国では内部者で固めた取締役会が防波堤の役割を果たし、敵対的買収が極めて困難なことも大きな原因の一つではなかろうか。


とまでおっしゃっています。これは例のソース屋さんのことなどを指しているのでしょう。
もちろん、「原因の一つではなかろうか」と問われれば、「原因の一つかもしれませんね」というほか答えられないようにも思います。
しかし果たして社外取締役の設置を義務化すればこれらの問題が解決するのかといえば、決してそのようなことはないと思います。


話は少々逸れますが、このような本が昨年、商事法務さんから出版されています。

会社法の選択―新しい社会の会社法を求めて会社法の選択―新しい社会の会社法を求めて
(2010/10)
中東 正文、松井 秀征 他

商品詳細を見る


商事法務さんのホームページから紹介文を引用すると、


本書は、明治から今日までの会社法制立法過程に関する歴史的分析をふまえた、かつてない、本格的研究である。
平成の時代にあっては「新会社法」が立法されるなど、頻繁に会社法(商法)改正が行われているが、本書は、明治以来、今日までの会社法立法過程を、それぞれの社会的背景、会社法制立法チャネルの変化、立法に関与した各種アクター(研究者・関係省庁・経済界・政界等ステイク・ホルダー)等の役割りと活動の変化を検証しながら、会社法改正を読み解く。
「無色透明の会社法」理論とその神話化に関する分析を通じて、ガバナンス、ファイナンス、マネジメント業務執行等の会社法立法について根本的な問題提起を行う。


ということで、個人的にとても興味のある一冊なのですが、現在の仕事に直接役立つような代物でもないだろうし、1,246頁もの大部だし、「長期休暇が取れた暁には、陽の当たる縁側でゆっくり読みたい一冊」と考え、amazon の「ほしいものリスト」に登録だけしています。(冗談ではなく本当に欲しいのです)

その「縁側本」(関係者の皆様、失礼な呼び名を付けてすみません)を受けて、中村直人弁護士が「旬刊商事法務」1919号(2010.12.25)に「実務からみた商法・会社法の立法過程と会社法制の見直し」という論考を寄せられていたことを思い出しました。

その中に以下のような興味深い記載があります。


従来、社外取締役義務化論は、モニタリング・モデルを理想とし、経営者は独立した者によって監督されなければならず、それによって企業の効率化や不祥事の防止に役立つという議論であった。
しかし、昨今の議論をみていると、良いものだから導入するという説明ではなく、欧米と日本のガバナンスが異なっており、説明してもなかなか納得してもらえないから、欧米と同じものにすべし、という議論に変わってきているようである。


そして次のような面白おかしい表現をされています。


欧米の投資家などに対する説明という観点からすると、問い「日本には経営者に対する独立した監督者がいるのか」、答え「日本には社外監査役がいる」、問い「社外監査役は経営者に対する人事権を持っているのか」、答え「持っていない」、問い「人事権なしでどうやって監督ができるのか」、答え「・・・・」ということになってしまうので、この際同じにしてはどうかということであろう。




それからまたまた話は逸れてしまうのですが、「旬刊商事法務」の同じく1919号には、アジア・コーポレート・ガバナンス協(議)会(ACGA)による、「法制審議会会社法制部会に対する意見」なるものが掲載されています。
そしてその意見の中には、以下のような記載があります。


(略)会社法または上場規則によって、上場企業の取締役会が、完全な議決権を持ち、適格要件と経験を備えた独立社外取締役を三名以上含むよう規定されるべきであると考えています。


ちなみにACGAは、欧米の年金基金や機関投資家が主要なメンバーのようです。

さらに、やはり同じく「旬刊商事法務」1919号の最後のページ、「スクランブル」においては、「日本企業のコーポレート・ガバナンスはどこへ向かうのか」というタイトルで、主にこの社外取締役問題が取りあげられています。
これは是非、バックナンバーでも何でも取り寄せて読んで頂きたいところなのですが、その一部を引用させて頂きたいと思います。


投資家の中には、日本企業の業績が上がっていないことを錦の御旗に、今年一年間のガバナンス改革に不満を唱えている声高な団体もある。しかし彼らの提案は残念ながら、企業を取り巻く関係者の大半から支持を得られていない。たとえば、独立取締役を相当人数全上場企業に強制すべきであると唱えているが、業務執行の現場になじみのない独立取締役が相当数入り、重要な決定に議決権の一票を投じるよう強制することがいかなる理屈で企業の業績向上つながるのか。赤の他人に決めさせたほうが業績が向上するという理屈はどこから出てくるのか。(略)何かを強制したらこう良くなるという提案が、強制することのデメリットを捨象しているなど議論の視野が狭く、また論理の緻密さを欠いているのである。むしろ、異議を特段唱えていない大半の投資家のほうにサイレントマジョリティがあると考えざるを得ず、少なくともこうした声高な意見を投資家多数の声とみなして制度改正を進めるべきではないであろう。



そんなこんなに思いを巡らせながら、冒頭の「東証上場会社コーポレート・ガバナンス白書2011」のうち、興味のある部分に目を通していました。
そして、
「社外取締役の選任状況」(P28)  東証一部47・1%、東証二部43.1%、マザーズ62.9%
という数字に、「うーむ・・・」と思わず唸ってしまったわけです。

どうも海外からの声は、「監査役設置会社の取締役」と「委員会設置会社の取締役」の役割の違いが正確に理解されていないことがその前提としてあるようです。
そしてそれを理解してもらうために「社外取締役」という海外にもわかりやすい制度を導入しようという動きがあるように見えます。
であれば、海外からの理解を得たい会社は委員会設置会社になって社外取締役を設置し、特段そのような強い希望がない会社はこれまでどおり監査役設置会社として必要に応じて社外取締役を設置すればいいのではないかというのが、現時点での私の考えです。

もちろん、「日本は海外からの投資をバンバン受けたいから、社外取締役を設置してね~!」と、国が自主的に姿勢を示すのであれば、それはそれでよいことのようにも思えますが、実際のところは経済成長が先にないと投資先としての魅力もないでしょう。
逆にいうと、投資先としての魅力があればコーポレートガバナンスの細かな建てつけにまで口を出されることもないのではないかと思います。


以上、思いつくままタラタラと書いてみました。

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調子に乗って「英文契約書祭り」に参加してみる。

2010年12月23日
ご存知、「企業法務について」のkataさんが、「英文契約書はじめの一歩」という記事を書かれました。

そしてほぼ時を同じくして、やはりご存知、「dtk'blog」のdtkさんが、「英文契約書を読むためのヒント・・・のようなもの」という記事を書き始め、既に4回ほど書かれています。

さらにここに、「企業法務マンサバイバル」のtacさんが、やや切り口を変えて、「英文契約書を読み書きしたい法務のためのブックガイド2011」という記事を書かれています。

そのようなわけで、いま世の中は「海老蔵か英文契約書か」というような、大変な騒ぎになっているわけです。


さて、そのような状況の中、私はtwitter上でdtkさんに対し、


続編を期待してます。特に準拠法と裁判管轄や、仲裁条項について期待してます( ̄^ ̄)ゞ


と、無責任にも続編のお願いを(昼ごはんを食べながら)してみました。

これに対しdtkさんは、


いや、だから…そういう難しい話を期待されても....一応考えてみますが。


と、答えて下さいました。

そこで私としては、「お願いをした以上もう少し何か書かないと失礼だよね」と思い、英文契約書について常日頃から疑問に思っていることなどを書いてみようと思ったわけです。

(相変わらず前置きが長くてすみません)


私が「常日頃から疑問に思っていること」というのは、ズバリ「準拠法と裁判管轄」
割と素通りされがちな一般条項にあって、準拠法と裁判管轄だけは「お互いに譲れない一線」となることが多いように思います。

そりゃそうですよね。
日本の会社がインドの会社と取引をするとして、インドの法律を準拠法としてインドの裁判所を専属的合意管轄裁判所とすると言われても、「わしゃ、インドの法律知らんけんのう・・・」となるのが普通です。
仮に「私はインドの法律に精通している」という場合でも、やはりコストや予測可能性を考えると、できる限り「ホーム」である日本法と日本の裁判所に持ち込みたいと考えるのが、日本の会社として自然でしょう。

しかしこれは当然、インドの方にとっても同じこと。
インドの方も自分たちの「ホーム」に持ち込みたいと考えます。

そこで落としどころとして、
①準拠法は日本法、裁判管轄は被告の国の裁判所
②準拠法も裁判管轄も被告の国
③仲裁合意
などが、どちらからともなく提案されたりします。

しかし①を選択したとして、実際にインドの裁判所に訴え出たときに、日本法に則って裁判が進行するかは甚だ疑問です。
②は少々投げやりな落としどころともいえます。
インドの方を訴えることになったときには、インドの法律を準拠法として、インドの裁判所で争うことになりますし、その逆であれば、インドの方が日本に乗り込んで来る必要があるので、「お互いに争いにならないことを祈るばかり」の落としどころともいえるのではないでしょうか(それはそれで抑止力として有効かも知れませんが)。
そうすると③が案外、公平かつ合理的な判断のように思えてきます。

例えば「日本商事仲裁協会」のHPなどには、仲裁条項案も載っていますし、件のインドの方との契約に関していえば、(ずいぶん古い話ですが)「インド商工会議所連合会仲裁裁判所」と協定を結んでいることなどもわかります。
これらをチョチョチョイと修正して、契約書に盛り込むことも考えられます。


このようなことはちょっと調べればわかることですし、さらに詳しく知りたい方であれば、下記の本などにも非常に詳しく書かれているわけですね。
※非常にお薦めの一冊でもあります。

国際取引・紛争処理法国際取引・紛争処理法
(2006/11)
河村 寛治

商品詳細を見る


ただ私が知りたいのは、
「実際のところどうしてるんですか?」
ということです。

上記の書籍にも以下のような記載があります。


準拠法の決定を当事者の意思に任せるということを基本的な考え方とする国は、米国をはじめ、ドイツ、フランス、英国などであるが、わが国もこの考え方(準拠法の意思主義)を採用している(通則法7条)。通則法では、適用すべき法を変更することができるという規定も設けられている(通則法9条)
国際的には、当事者の意思に関係なく、契約の締結地とか、履行地とかの法を採用する国も、米国の一部数州や中南米諸国などで存在する。
中国なども契約の種類毎にその準拠法が法律で定められていることから、国際契約を作成する際には、当事者の合意でそれを排除することができるかどうかという点も非常に重要である。


※本書は2006年に書かれていますが、同年に施行された「法の適用に関する通則法」施行前の情報に基づいて書かれている点と、ここ数年の中国の法整備の状況を考慮しておく必要があるかと思います。

つまり欧米諸国との契約に関しては、とりあえず「日本法を準拠法とし、裁判管轄も東京地裁」などでとりあえず押してみても概ね問題ないかと思うのですが、それ以外の国や地域については、それぞれの国の法律によって、そのような合意が無効となってしまうことが考えられるわけですね。

そして件のインドを含めた東南アジア諸国の皆さんや、アルゼンチンやチリといった中南米諸国の皆さんというのは、私の数少ない経験からいっても、


ウチの国で作業をするから、日本法を準拠法にすることも裁判管轄を日本にすることも、ウチの国の法律ではたぶん認められないです。だからウチの国の法律を準拠法にしてウチの国の裁判所を専属的合意管轄裁判所にしましょう。


とおっしゃることが多いように感じています。

これをハッタリととるか信用するかというと、私はまず「ハッタリではないか」と疑ってかかります。
しかしそうはいっても取り扱う契約や相手国の数が多くなってくると、一つ一つの国の法令について調べて「ウソつけ!」などとやっている時間もないので、「どうしたものか・・・」と困ってしまうんですね。
(先日、とある東南アジアの国の方は、「もう準拠法と裁判管轄に関する条項を削除しましょうよ」と提案してきました)


以上、ずいぶん長くなってしまいましたが、このような「英文契約書における準拠法と裁判管轄」について、実務的な経験が豊富であろうdtkさんにご教示頂けたら嬉しいな、と思った次第であります。

そのようなわけdtkさん、よろしくお願いします(ペコリ)。


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そういえば先日、とある欧米企業の日本法人の法務部長に、英文契約書についていろいろとお話をお聞きしたので、そのことについてはまたあらためて書いてみたいと思います。





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「法務の仕事」と「経営判断」

2010年12月12日
「企業法務マンサバイバル」のtacさんの「法務の仕事とは何か」というエントリーを拝読し、企業法務の経験や知識ではtacさんの足許にも及ばないことは重々承知のうえで、私も思うところを書いておきたいと思います。

商事法務1913号の、「アパマンショップ株主代表訴訟最高裁判決の意義」と題する落合誠一先生の論考において、「経営判断原則」に関する落合先生の考えが語られています。
もちろんtacさんのエントリーとは全く異なる文脈で語られているものではあるのですが、「法務の仕事とは何か」を考えるにあたり参考になるのではないかと思いますので、少々長いのですが引用したいと思います。


弁護士は、法律の専門家であるが、ビジネスの専門家ではないから、ビジネスの常識に基づき決定されるべき買取価格の相当性は、経営者が判断すべき事柄であり、弁護士が判断すべきことではない。それゆえに本件弁護士は、正当にも、加盟店との関係を良好に保つ必要性が経営上あるか否か、またその必要性との見合いにより決めるべき買取価格は、経営者の判断すべきことであるとして、その点に関する自己の判断を示すのを避けているのである。これは、経験あるビジネス・ロイヤーであれば、いわば当然の対応であり、経営者の判断に任せるべき事項(ビジネスの常識が必要な判断)については、経営の専門家でもない弁護士が自己の個人的な見解を表明することは決してしないはずだからである。なまじ素人見解を示せば、かえって経営者の経営判断に悪い影響を与えかねないからである。要するに、ビジネスの常識が必要な判断事項は、経営者に委ねるのが適切であり、これこそが、経験あるビジネス・ロイヤーとしてのとるべき行動であると判断される。



落合先生は「ビジネス」という言葉と「経営」という言葉を使い分けていらっしゃいますが、乱暴にもこの「ビジネス」という言葉を全て「経営」という言葉に置き換え、さらに、「弁護士」という言葉を「法務担当者」という言葉に置き換えてみます。
そうすると「サポーティング・アクター」として法務担当者の果たすべき最低限の役割を表現した文章として読めるように思います。

そして問題は、社外の弁護士ではなく、社内の法務担当者として、この最低限の役割からどこまで踏み込むか、です。
この問題は、会社の規模や経営者が法務部に期待する役割によって、若干異なってくるのではないかとは思います。
しかし社外の人間ではなく社内の人間としては、「ちょっとでしゃばる」くらいでないと、存在意義がなくなってしまうのではないかというのが、現時点での私の考えです。

「ちょっとでしゃばる」というのは具体的には、
選択肢をできる限り絞り込んだうえで、それぞれのメリット・デメリットやリスクについて説明し、さらに「このような理由から、私はこの選択肢が妥当だと思います」というところまで踏み込む、つまり自分の意見を明確に伝えることです。
最終的には「経営判断」に委ねられることとなるにしても、社内の人間としての意見を、法的な側面から検証したうえで行うことが、「法務の仕事」として必要なのではないかと思うわけです。
この点、社外の弁護士は、実際にそのような判断ができるかどうかにかかわらず、「客観的である」と第三者から評価されるだけの意見に留めておく必要があるのではないかと思います。

つまり、社外の弁護士と社内の法務担当者では、そもそも求められている役割が異なっているはずなので、ここは分けて考える必要があると思うのですね。


ところで現在株式会社ミスミグループ本社のCEOである三枝匡さんの著書、「V字回復の経営」に以下のような言葉がでてきます。


「赤坂三郎はできる男だ。どんどん前に出るし、緻密でもある。間違いなくこれからの経営者タイプだ」


どんどん前に出る、つまり「でしゃばる」ことはリスクを取ることにも通じますが、組織内で働く一人の会社員としてはそのようなリスクを取ることも必要なのではないかと思います。(もちろん会社のリスクを低減させることとは別の話です)
そしてその前提として、「緻密である」ことも必要です。この「緻密である」ことは法務担当者としては絶対的に必要な条件で、これををすっとばすとtacさんのおっしゃる、「経験だけで「それは無理」「こうすべきである」とやっている法務パーソン」に成り下がってしまうのでしょう。



ところでまたしても話が飛びますが、「NBL」926号から932号にわたる芦原一郎弁護士の「法務部の機能論と組織論―社内弁護士活用のために」と題する論考に、私は強い違和感を感じていました。
ご存知のとおり、芦原弁護士は「社内弁護士」として、いくつかの会社で働かれ、社内弁護士の役割についていろいろなところで持論を述べられています。
しかし私が感じる違和感というのは、芦原弁護士が「ビジネス側」と「法務部」というように、あたかも法務部はビジネスを行っていないかのような表現をいつもされていることです。

私の考えとしては、法務担当者は自社の法律に関わる業務を担当しているわけではありますが、それも当然に自社のビジネスの一部です。
そして自社のビジネスを他部門や経営陣とともに行っているというものです。少なくとも私は自分のやっていることは「ビジネス」だと考えています。
ですから「ビジネス側」と「法務部」と分けて考えるのは、社内ではなく社外の人の発想だと思うわけですね。
そして私たち法務担当者は当然社内の人間ですから、社外の弁護士とは異なる役割を担っているわけです。


このようにつらつらと考えてみると、tacさんが紹介されている野村晋右先生の以下の言葉、


最終的に経営判断に委ねるにしても、事実関係を十分に調査しそれをベースに、法的分析・検討をギリギリまで進めること、そして、できる限り選択肢を狭くしかつ選択の材料を簡潔に判断者に対して提示することが重要である。


これは確かにそうなのだろうと思います。
しかし私としては、ここからあと一歩進んで、「どの選択肢が妥当であるかについて意見を述べる」ところまで行うのが、社内の法務担当者として必要なのではないかと思っています。


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