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ようやく入手した一冊。【ビジネスデューデリジェンスの実務】

2010年02月21日
M&Aを成功に導くビジネスデューデリジェンスの実務M&Aを成功に導くビジネスデューデリジェンスの実務
(2006/11)
アビームM&Aコンサルティング

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2年近く前の話ですが、amazonの「自分の欲しいものリスト」(当時は「ウィッシュリスト」だったか?)に、上記書籍を登録していました。
本というのは、買いそびれると手に入らなくなってしまったり、手に入れるのに著しく手間と時間がかかるようになってしまったりすることが往々にしてあるので、「欲しい!」と思った時にはできるだけすぐに買うようにしています。

そしてこの本。
すぐに買わなかったばかりに、入手するのにひどく手間取りました。

2年前に「欲しいなぁ」と思い、amazonに登録していたのですが、最近になって「絶対買う!」と思うきっかけができました。
そこでamazonを覗いてみたところ、「入手不可」との表示になっていました。しかし古本であれば、9,000円くらいで買うことができる状況でした。
でも定価は4,800円なので、できることならその程度の価格で入手したいところです。

そこで出版社である中央経済社さんや、紀伊國屋、ジュンク堂、ブックファーストなど、大きな本屋さんに片っ端からあたってみたのですが、どこにも在庫が一冊もない。

チクショーと思いながら、時々未練がましくamazonをチェックしていたのですが、ある日「2~4週間で発送可能」という表示に変わっていました。
この機会を逃してはいけない、と早速注文しました。

そして待つこと2週間ちょっと。
amazonからメールが届きました。
「やはり入手できませんでした。ごめんなさい。」というような内容です。

その頃、本書の古本価格は更に高騰していて、何と「25,000円~」という表示が出ていました。
ヤフオクにも出品されていないし、手に入らないとなると何とか手に入れたくなるものです。

そこでダメモトで、三省堂書店のHPから在庫検索をしてみました。
ありました!
何と名古屋の三省堂書店に一冊だけ在庫がありました。
その場で即、「取り置き希望」をクリック。
そうしたところ数時間後にメールが届きました。
「在庫を確保したので、取りに来てください。」

東京から名古屋まで、本一冊買うためだけに行くのも間抜けな話しなので、メールでお願いして近所の三省堂書店に移動してもらいました。
(三省堂書店さんの対応は、とても丁寧で素早いものでした。感謝です。)

そして一昨日、念願かなって手許に届きました。
ありがたいので神棚にでも飾っておきたいのですが、それでは意味がないですし、そもそもわが家にはよく考えたら神棚がありません。

まだ、パラパラとめくってみただけなのですが、非常に興味深い内容です。
即転売すればちょっとした小遣い稼ぎになるかも知れませんが、この本は誰にも売ってあげません。

他の読むべきものを片付けてから、じっくり読んでみようと思っています。

ただ一点懸念しているのは、もしかするとこの状況からすると、近日中に改訂版なんかが出版されたりするのではないかと・・・
それだけは勘弁してくださいね、中央経済社さん。


ちなみにどうでもいい話ですが、最近カタカナを読めるようになった長男も、「デューデリジェンス」は上手に読めませんでした。これが「デューディリジェンス」だったら更に読みにくいですよね。
僕もきちんと発音できません。どうしても最後の部分が「ジェンシュ」になっちゃうんですよね。







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子供はいつか巣立って行くんだよなぁ、という感慨。

2010年02月21日
わが家の長男が、今年の春から小学生になります。
先日ランドセルも購入し、いよいよ入学準備が本格化してきました。

言い古されたことではありますが、子供の成長というのは実に早いもので、本当にあっという間の6年間でした。
あと6年すると、もう中学生になるという、俄かには信じられないようなスピードなのです。
そんな、わが子の成長が、嬉しくもあり寂しくもある微妙な親心を味わっている今日この頃です。
今が一番楽しい時期なんだろうな、長男も長女もこのまま大きくならなくていいのにな、などと身勝手なことを思ったりしています。

さて、以前にも紹介したと思うのですが、「OCEANS」という、僕がよく買っている雑誌(こんな雑誌も実は読むのです)で、仲村トオルさんが、

親バカじゃない親はバカ

という名言を吐いていらっしゃいました。
この言葉を聞いた僕は心から「アーメン(然り!)」と呟いたものです。

しかし僕は、「バカ親」にだけはならないように気をつけてはいます。
僕が子供と接するときに大切にしていることは、とにかく愛情をかけることと、コミュニケーションをしっかりと取ることです。

教育方針というほどのものでもないのですが、以下の3点は常に心がけています。


一. 健康第一
二. 自主性を重んじる
三. 考えさせる



「人魚は何を食べるのか子供に聞かれて困っています。何と答えるべきでしょうか?」というような質問をネットでしている方が時々います。というか、似たようなことを質問する人が実際に結構います。
子供に質問されると「正しい解答」をしようとして困ってしまっている人たちです。
僕は、こんな時こそ考えさせたりコミュニケーションを取ったりするチャンスだと思うので、このような質問だけで30分は会話を続けてしまいます。
基本的に「とっと(ウチの子は僕のことをこう呼ぶので、僕も自分のことをこう呼ぶ)にもよくわからん。でも海の中にいるのだから、海亀とか食べるんじゃないの?」などとちょっとおかしなことを言ったりします。
そうすると、子供は「亀は食べないでしょう」などと乗ってくるので、「どうして?結構おいしいんじゃないの?」と聞きます。
子供はちょっと考えてから「甲羅が硬いじゃん。歯が折れちゃうよ」などと言ったりするので、「ああ、そうだね。じゃあもっと柔らかいクラゲとか食べんのかな」などと、実に下らない会話を延々と続けたりしています。
でも僕としては、答え自体はどうでもよくて、子供に考えさせたり、子供の言うことに根拠を示させたりという、コミュニケーションの練習を楽しみながらやっているつもりなのです。
これは例えば「ウルトラマンと仮面ライダーはどっちが強いか?」というテーマでも同じで、徹底的に話し合います。

話がだいぶそれてしまいましたが、僕は子供たちと話をすることも遊ぶことも大好きなので、保育園のお友達のことから仮面ライダーのことまで、長男にとって最も「話せるヤツ」であると自負しています。
そして長男は僕に対して「優しくて、強くて、カッコいい」と、最大限の賛辞を贈ってくれます。
最近少しずつ「本当かな?」と疑いの目で見てくるのですが、僕が「仮面ライダーカブト」に変身できるという話も、辛うじて信じています。

さて、そんな長男なのですが、保育園でも数年に一度しか発生しないという「超元気なクラス」の中で、わんぱくグループを結成し、そこでリーダーシップを発揮しているという証言を、先生から得ています。
家では僕にベタベタと甘えて、寝るときも僕にへばりつくようにして寝ているのですが、外ではけっこう頑張っちゃっているようです。

そう、長男は寝るときに僕がいないとダメで、僕が飲み会などで遅くなった時には、布団の中で睡魔と限界まで闘いながら寝ずに待っています。
そして長女は僕のお腹の上、長男は僕の腕枕という状態で寝るのがわが家のお休みスタイルです。
ところが妻はフカフカの布団でゆったり広々と寝ているので、時々アタマにきます。そんな時僕は、寝ている長女を妻の上に乗っけたりして、陰湿な嫌がらせをすることもあります。

しかし昨年の夏、保育園で「お泊り保育」というイベントがあり、長男は初めて親元を離れて一晩過ごしました。
お泊り保育にあたって長男に、「一人で眠れるか?」と尋ねたところ、「ゆずくんとギュウして寝る」と、僕の代わりに友達を抱き枕にする作戦を練っていましたが、ちゃんと一人で寝たそうで、自信に溢れた表情で帰ってきました。

そして先日のバレンタインデーでは、クラスの女の子にチョコレートをいくつかもらい、照れながらも誇らしげでした。先生のお話によると、長男は女の子にとてもモテるらしく、「一夫多妻も夢じゃない」とのことでした。保育園の先生らしからぬ表現です。

そして今日。
長男は生まれて初めて、お友達の家に泊まりに行っています。
カバンに、ウルトラマンの人形と塗り絵と色鉛筆を詰め込んで、張り切って出掛けました。
元気が有り余った状態で預けるのは忍びないので、お友達の家に行く前に、近所を1時間ほど走らせました(笑)
そうすれば多少疲れて早く寝るかな、との考えです。

そんなわけで、今日の夕食は、妻と長女と3人で食べました。
長女もよその女の子に比べるとかなり元気な方ですが、やはりそうはいっても女の子です。男の子とは騒ぎ方のレベルが違います。
久しぶりに静かで落ち着いた食事と食後の時間を過ごしました。
長女は、いつもであれば勝手に触ると怒られる長男のおもちゃを、思う存分いじくりまわしていました。

話があちこちに飛んでしまいましたが、4月から小学生になる長男は、本当に少しずつたくましくなってきていて、少しずつ僕から離れていくのです。
親として嬉しい気持ちもありますが、まだ未熟者の僕としては、寂しい気持ちの方がずっと大きいんだということがはっきりとわかった夜だったりするのです。

今日は僕が眠れなかったりして(笑)
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裁判を受ける権利について

2010年02月19日
ウルトラマン 名選集ウルトラマン 名選集
(2005/12/07)
テレビ主題歌みすず児童合唱団

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数年前このCDを買って、クルマのHDDに保存しました。
それ以来、思い出したように、我が家の子供たちは「ウルトラマンを聞きたい」と言います。
そして一度言い始めると、1ヶ月くらい毎日言います。

そんなわけで、ここ1ヶ月くらい、朝、保育園に行くときはもちろん、休みの日に出掛けるときも、ずっとウルトラマンの歌を聴くハメになってしまっています。

このCDは、初代ウルトラマンの主題歌から、昭和の終わりくらいまでのウルトラマンの主題歌が収録されているので、僕が聴いても懐かしいものではあります。

さて、このCDに収録されている歌で、「ザ・ウルトラマン」というアニメ版ウルトラマンの主題歌があります。
この歌はなかなかの名曲で、親子で一緒に楽しく歌っているのですが、歌詞に一つ気になるところがあります。
それは以下の歌詞です。


この世のルールを乱した奴らは、宇宙の果てまで運び去る、ウルトラマン♪



ルールを乱したくらいで、宇宙の果てまで運ばれたうえに、置き去りにされてしまうのです。
ちょっとコワイです。

略取誘拐とか、保護責任者遺棄致死罪とかの言葉がアタマをよぎります。
いや、大気圏に突入した時点で普通の人は死んでしまうだろうから、殺人罪でしょうか。
そもそも公開の法廷で裁判を受ける権利が我々には保障されているはずですが、ウルトラマンの独断と偏見で、宇宙の果てまで連れて行かれて放置されるのです。
デュープロセスもへったくれもありません。

毎日、そんなことを考えながら、クルマを運転して保育園に向かっています。



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Business Law Journal 10月号の感想を今ごろ書いてみる。

2010年02月17日
「Business Law Journal」が積読状態になっていたので、興味のある記事だけでも読んでおこうと、ここ数日通勤電車の中で一気読みしています。
とはいえ、なんと実は8月号からたまっているので、結構なボリュームがありますし、やや遅れた情報になってしまっています。
昨日は9月号を読んでいたのですが「発足直前 消費者庁」などという、半年前の話題をナルホドと思いながら読み進めている情けない状況です。

そんなこんなで今朝は10月号に突入しました。
NBLにしても商事法務にしてもそうなのですが、連載ものが多い雑誌というのは、ためてから読むというのもなかなかいいものです。(精神衛生上はよくないですが・・・)

Business Law Journal(以下「BLJ」)でいうと、以前から連載されている「legal×marketing→branding!」などは、まとめて読むと、弁理士、企業法務担当者、知財担当者など、様々な角度からブランド、特に商標権というものをどう保護するべきかが論じられていて勉強になります。
特に10月号のシャネル株式会社法務部長のお話は、トップブランドと呼ばれる「CHANEL」という商標を、模倣品などによるブランドイメージの低下からどう保護するのかという実務上の話が具体的に書かれていて、非常に興味深いものでありました。
ちょうど「中国の『権利侵害責任法』(不法行為法に相当)が公布される」(NBL923号)という記事において、同法施行によって中国におけるインターネットによる模倣品販売に一定の歯止めがかかるのではないか、というような話題が出ていたところなので、余計興味をそそられました。

また10月号には、第2特集として「仕事術・勉強法」というものがありました。
この手の話題はビジネス書やビジネス雑誌でしょっちゅう採り上げられるので、少々食傷気味なのですが、さすがBLJです。このお腹いっぱいの話題を、「法務関係者の仕事術・勉強法」という切り口にしているので、食いつかずにはいられません。

このBlogでも何度か書籍を紹介させてもらっている弥永真生教授の、判例や法令情報を集める方法などは、個人的に物凄く興味のあるところです。
しかし弥永先生は案外フツーに情報を集めていらっしゃるようで、商事法務メルマガに頼っているなどというところは、親近感すら覚えてしまいます。
やはりこのような方は、同じ情報に触れても、そこから生み出すものが違うわけですね。

また、升永英俊弁護士の「準備書面を書くための心構え」のような話も、日々たくさんの文書を書く私たち企業法務パーソンにとって、大きな示唆を与えてくれます。

ですから、こんな枝などなくても自分のメッセージは伝えられる、という自信をもって書かなくてはなりません。枝ばかりを書いてしまう人はメッセージをもっていないということでしょう。



さらに、やはりこのBlogで何度か書籍を紹介させて頂いている、公認会計士の太田達也さんの「情報インプットとアウトプットの方法」みたいな話も同じく興味深いものでした。


まぁ、ここでこんな感想を書いたところで、所詮随分遅れた話題でしかないのですが、読み飛ばしていらっしゃる方は再読されてはいかがでしょうか。
「買ってないよ」という方はバックナンバーを購入されてもいいでしょうし。

また気が向いたら、11月号以降の感想も書いてみます。


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ヤマト運輸やセブンイレブンの弁護士はどう考えているのか?という疑問

2010年02月12日
どうもここのところ、夜はすぐに寝付けるものの、朝早く(4時くらいか?)に目が覚めてしまいます。
そして、あれやこれやと思いを巡らせているうちに眠れなくなって「もういいや起きちまえ!」と5時過ぎに布団から這い出すような日々が続いています。

別にこれは自分がおっさんになってきているから、というわけでもないように思います。
というのも、布団の中であれやこれやと考えているその内容は、いつも決まって仕事のことだからです。

今日は今日で、一昨日に弁護士と電話で話した内容を反芻しているうちに、ヤマト運輸やセブンイレブンの経営に思い至り、布団の中でじっとしていられなくなってしまいました。

ヤマト運輸という会社、ひいてはその創業者である小倉昌男氏の経営というのは、常に規制との闘いであったように思うのですが、「信念」というものが強く感じられて共感を覚えます。

(興味のある方には、この本がオススメです。)


小倉昌男 経営学小倉昌男 経営学
(1999/10)
小倉 昌男

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一方のセブンイレブンも、最近は何かと問題を指摘されていますが、易きに流れない姿勢が見受けられ、その点に関しては共感を覚えます。

上記2社はいずれも労務問題を中心としたトラブルを抱えていて、この点に関しては早期に解決するべきだと思いますが、国が押し付ける規制に安易に屈しない姿勢が私は好きなのです。

ヤマト運輸でいえば、古くは「信書法」の問題で、郵政と真正面から衝突してきました。
そして最近では、ヤマト運輸でいえば「代引き」が、セブンイレブンなどのコンビニエンスストアでいえば「公共料金の収納代行サービス」が、銀行法上の「為替取引」に該当するのではないか、との指摘を受け続けてきました。
そしてこの問題は、資金決済法の成立という形で一応の解決を見たわけです。


私が気になるのは、ヤマト運輸やセブンイレブンの顧問弁護士などが、「代引き」や「収納代行サービス」をどう評価していたのか、という点です。
2社とも相当な大企業ですから、上記のようなサービスの適法性について弁護士に法律意見書を書いてもらうなどということは、何度もあったのではないかと思います。

そのようなときに、弁護士は何と書いたのか、それが気になります。

ちょうどNBLの922号(2010.2.1)で、資金決済法の解説がされているので、それを参考に記載しますが、銀行法では「為替取引」は銀行のみが営むことができることになっています。
そして判例上「為替取引」は、以下のように定義されています。


顧客から、隔地者間で直接銀行を輸送せずに資金を移動する仕組みを利用して資金を移動することを内容とする依頼を受けて、これを引き受けること、又はこれを引き受けて遂行すること(最三決平成13年3月12日)



この定義を見ると、「代引き」も「収納代行」もクロっぽい印象を受けます。
でも、社会的な便宜を考えると、クロと言いたくはないですよね。
このあたりは、必要性と許容性のバランスの問題として処理したいところです。

でも、「このサービスが適法ですか?」と聞かれたとき、弁護士は何と答えるのでしょう。
さらに言えば、私たち企業法務担当者としては何と答えるべきでしょう。

「NO」と答えるのが最も簡単な回答です。
「グレーだけど、経営判断でお願いします」というのもありがちな回答かと思います。

「代引き」や「収納代行」は、資金決済法という法律の成立により、資金移動業の登録を受ければ堂々と行えるようになりますし、これまで通り「為替取引ではない」と言い通すことも会社によってはあるかも知れません。

案外、イノベーションというものはこのようなところから生まれてくるものでしょう。
Googleのストリートビューについても騒ぎが大きくなっていますが、「とりあえずNO」というのは、社会にとって好ましいことではないでしょう。

そんなことを考えているうちに、仕事に行く時間になってしまいました。
ではでは。






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「売れ残る時代」の転職術 三田紀房+モーニング編集部

2010年02月11日
エンゼルバンク公式副読本 「売れ残る時代」の転職術──あなたの価値は「相場」で決まるエンゼルバンク公式副読本 「売れ残る時代」の転職術──あなたの価値は「相場」で決まる
(2009/12/18)
モーニング編集部三田 紀房

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転職を考えているわけではありません(笑)


本書の著者の作品である、「ドラゴン桜」も「エンゼルバンク」も読んだことがないのですが、「面白い!」との噂はかねがね聞いております。
近所の三省堂で平積みされていた本書を何気なく手に取ってパラパラ眺めていたところ、ベンチャー企業に関する著者の考え方が書いてあるページが目に入ったので、早速購入しました。


おそらくこの本のターゲットは20代の、転職経験のない(或いは少ない)会社員だと思います。
なので30半ばで転職を何度も経験している私のような者からすると「そうだよね」と、経験や知識としてわかっていることが多いものではありました。

しかしこのBlogを訪問して下さっている方には若い方も多いということが最近わかってきたので、本書の紹介と併せて、私の思うところを書いてみようと思います。

以下、本書の章立てです。


第1章 間違いだらけの転職の常識
第2章 仕事の前に「自分」を見つけろ!
第3章 転職先の正体を見極めろ!
第4章 履歴書・職務経歴書を甘く見るな!
第5章 面接官を逆面接しろ!
第6章 本当の「転職」は内定後に動き始める
第7章 幸せの青い鳥はどこにいる?



これを見て頂ければわかるように、「転職とは何ぞや」から始まって、自己分析・会社分析の方法や考え方、履歴書や職務経歴書の考え方(書き方ではありません)、面接に望む姿勢、内定後の動き方、そしてまとめ、という流れになっています。

著者のスタイルとして断定形や命令形の物言いが多いのが気になりますが、書いてある内容は単なる理想論や当たり障りのない転職指南書とは一線を画すものです。

ただ1点、これは違うと思う点を最初に指摘させて頂きたいと思います。本書に一貫して流れるメッセージでもあり、非常に重要な点だけに。


ビジネスマンとしてのあなたの価値、ひいてはあなたという人間の価値は、誰がどうやって決めるのだろう?
もし、「自分の価値は自分で決める」「自分を評価するのは自分自身だ」なんて話を鵜呑みにしているとしたら、一刻も早く考えを改めることだ。
あなたの価値を決めるのは、あなたではない。すべては「相場」によって決まるのである。



これが哲学的な話として、「あなたという人間の価値は相対的なものだ」というのであれば、必ずしも間違いとは言い切れない気もしますが、「あなたという人間の価値を決めるのは『相場』だ」というのは、明らかに言い過ぎでしょう。
ただし、転職をする際には確かに「ビジネスマンとしての市場価値の相場」に直面することになります。
この点は間違いのない事実かと思います。


さて、私自身思い当たるところもあり、非常に有益なアドバイスだと思うところを引用します。


転職を考える人の多くは、とかくこれまでと違った環境、違った仕事、違った自分を求めがちだ。おかげで、せっかく積み上げてきたキャリアを帳消しにして、文字通りゼロからの再出発を強いられる。
再出発といえば聞こえはいいが、ゲームでいうならレベル1からのやり直し。素手で雑魚キャラと闘う日々の始まりである。
自分の元金はどこにあるのか。現在どれくらい貯まっているのか。どうすればその元金を活かしつつ、新たなフィールドに立てるのか。転職を考える前に、もう一度自分に問いかけてみよう。自分では気づいていないかも知れないが、あなたはすでに多くの貯金を手にしているはずなのだ。
その貯金をあっさりドブに捨てるのか、それともたっぷり利息を受け取るのか。すべては、キャリアの継続にかかっている。



「キャリアの継続性」
これは確かに大切です。

私自身「法律に深く関わる仕事ではない仕事」に移りたいと考えたこともありますし、一時的にそのような仕事をしたこともあります。
でもやはり結果的には、30歳を過ぎて未経験の仕事に取り組むのは、「ゼロからの再出発」とまでは言いませんが、なかなか持てる力を発揮できないものだと思います。

私の知る範囲でも、経理→会計事務所→主婦→経理、と環境や必要に応じて転職をしている子持ちの女性がいます。彼女もやはり、「キャリアの継続性」を保っているからこそ、40歳を過ぎて米系上場企業の経理部マネージャーという職に転職することができたのだと思います。(もちろん普段から非常な努力をしていますが)


私のように転職を何度も経験し、ようやく自分のやりたい事や力を発揮できる場所を見つけるというような方法は決して他人にはおすすめできません。それはとてもリスキーだからです。
ただ、できれば20代のうちにいろいろな仕事に関わってみて、自分が力を発揮できるものをみつけておくことは大事だと思います。

そのような意味で、実際に転職するかどうかは別にして「転職の可能性を常に意識していること」は、ビジネスマンの姿勢として必要なのではないでしょうか。
そうすることによって、自分自身のビジネスマンとしての市場価値を知ることができ、また、自分自身のビジネス社会におけるアピールポイントを認識することができるかと思います。


最後に、私がこの本を購入するきっかけとなった、著者のベンチャー企業に対する考え方をいくつか引用して紹介したいと思います。


大手で働くことは、たとえるなら超豪華客船の乗組員になるようなものだ。船が沈没する心配は少ないけれど、自分で行き先を決めることはできないし、船長の顔すらよくわからない。そして自分の努力に関係なく、船は一定のスピードで進んでいく。あなたがいなくても会社は回っていく。それが大手のシステムだ。
一方、ベンチャーは小型ボートのようなものだ。いつ沈むかわからないし、実際に沈んでしまうボートもたくさんある。よくも悪くもスリル満点である。
そして、ベンチャーという小船が沈むかどうかは、ある意味、あなたの努力に左右される。船の行き先を決めるのも、実際に船を動かすのもそうだ。また、船長やほかの乗組員の顔をよく見えるし、「仕事ってなんだろう」「僕の存在ってなんだろう」なんて悠長なことを考えるヒマなど、どこにもない。



私は大手企業とベンチャー企業で実際に働いてみて、この違いを実感しています。



(ベンチャーでは)当然、重大な責任を負わされるわけだが、責任を伴わないところに「やりがい」などない。そしてここで身につけた力は、どんな業界に行っても通用する一生モノの力だ。



村上龍の「無趣味のすすめ」でも、仕事というものについて同じような主張がされていましたが、けだし名言です。

そしてベンチャー企業の魅力は、以下の言葉からも伝わりますし、私自身日々実感しているところです。


とくに株式公開・上場に至るプロセス(上場準備室の設置や証券会社との交渉など)を間近で観察できるとすれば、それはどんなスクールでもセミナーでも学べない貴重な財産である。
ベンチャーに身を置くことは、ほとんど経営に参画するようなものだ。最前線での経営スキルを学びたければ、ベンチャーほど魅力的なフィールドはないだろう。そこでの成功体験も失敗体験も、すべてあなたの将来を築く財産となるはずである。



もちろんベンチャー企業といっても、経営者の能力や一緒に働く仲間によって環境は大きく違うし、ベンチャー企業に入ったからといって誰もが「経営に参画するような」経験をできるとは思えないのですが、そのチャンスはたくさんころがっているのは間違いのない事実でしょう。

ただ1点、あまりはっきりと言う人がいないのでここに書いておきたいと思うのですが、成長しているベンチャー企業では、能力とマインドに欠ける人は排除されてしまいます。
大企業のように余剰人員を抱えることができない以上当然のことですが、この点を認識せず安易にベンチャー企業に入ると辛い思いをすることになってしまいますので、注意が必要です。



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弁護士との付き合い方について反省していること

2010年02月07日
「昨日のエントリー」が思わぬ余波を呼んでいるようで、「知財渉外にて」のsenri4000さんや、「dtk's blog」のdtkさんに、コメントを頂きました。

のみならず、dtkさんがこの件に関してエントリーをあげて下さって、ありがたいやら恥ずかしいやら・・・

この週末はとかく愚痴っぽい記事が多く、いつも読んで下さっている方には不愉快な思いをさせてしまっているのではないかと申し訳なく思っている次第です。

とは言え、愚痴っぽい記事のおかげで、dtkさんに貴重なアドバイスを頂けたり、「有益な記事」を紹介して頂けたりしたので、結果オーライということで・・・

皆さんの言葉を受けて思うのは、弁護士云々言う前に、まずは自分自身のこれまでのやり方がどうだったのか、ということです。
少しでも自社のことをわかってもらおうと、会社案内や主要な契約書を持っていって説明したりということはしていましたが、「これでわかってくれるだろう」という甘い認識でいたのも確かだし、仕事を頼んだ後のフォローを後回しにしていたりということもあったなあ、と思い返しています。

まだまだ修行が足らんなあ、と思う日曜の夜でありました。


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血液型を知る必要があるのは輸血の時だけだと思う。

2010年02月07日
血液型で人の性格を判断するのはやめようよ。

これは僕が中高生の頃から一貫して思い続けていることです。

「人間がたったの4種類に分けられるわけがない」
「血液型で性格診断をするのは日本人くらいだ」

こんな言葉で、血液型によって人を判断することの滑稽さを主張する人もいます。
僕も確かにそう思います。

特に、尊敬する人や信頼する人が「あいつはB型だから」とか、「君は何型?」などと話すのを聞くと、本当にガッカリします。
こういうことを言うと、「信じてはいないけど、話のネタとして・・」だとか、「信じてはいないけど、多少の傾向はあるよね」などと答える人もいます。

今朝、twitter上で、「ある職業にはB型が多い」という話題がありました。
僕は口を挟みたくなりましたが、そういうところで口を挟んで人間関係を悪くしてきたこともあるので、ただ眺めるだけにしました。
さすがに「B型はその『ある職業』になりやすい性格だ」などという極端な論調ではなかったのですが、「幼いときから『B型は個性的だ』という刷り込みがあるので、個性的な人になりやすいのではないか、(だからそのような職業を目指すのではないか)」というような話の流れでした。

しかしこれも僕にとっては50歩100歩の話で、そもそもその職業の方たちの血液型をどうやって調べたのか知らないけど、血液型がB型であることとその職業に就くことには何の因果関係もないでしょう。
もし仮に、正確な血液型の調査がなされていて、確かにB型の人が多いという相関関係が認められたとしても、そこに因果関係はないでしょう。

このようなことを言うと鬱陶しがられるので、誰かが血液型の話を始めても、たいてい僕は黙って聞いていますが、血液型で人のことをわかったように決めつけるのはやはり差別だと思うんですよね。


辻仁成が1991年に書いて1992年に出版した「ガラスの天井」というエッセイ集を読んで、当時大学生だった僕は安心しました。これこそ僕が感じていることだ、と。

少し長いのですが引用します。


詩人のA氏が突然スタッフの一人に向かって、あなたの血液型は何型?と切り出した。僕はその瞬間、いつも感じるあの耐えられない嫌悪感をまた感じてしまったのだ。場は非常に和んでいて、申し訳ないとは思ったのだが、僕はやはりあえてその問いかけに文句を言ってしまった。
「血液型で人を区別するのは、やめようよ」
(中略)
「国籍で人を区別するのか」とか、体の不自由な人々のことにまで話は拡大していき、興奮した僕は、A氏のことをファシスト!と叫んでしまったのである。
(中略)
一体、この国はどうなっているのだろう、どうしても他人を何かのパターンに押し込めないと気がすまないのであろうか。それはたぶん、他者に対して自由ではないからに違いない。
フランスに行った時に、ちょっと驚いた経験をしたことがある。日本では、自分のことを自らOLだとか、サラリーマンだとか位置づけするが、彼らは決して自分を会社員、OL、主婦などという代名詞でくくらないのである。他人と同一化されることを極端に嫌う国民性ゆえかもしれない。確かにあの国には、個人主義が根づいている。
坂本竜馬のごとく男らしく、とか、女は大和撫子みたいにおしとやかになどと、男女の性を分けるのもまたおかしな話だと思うのだが、男らしさ、女らしさという言葉は、人間らしさという言葉の前には及びもしないのである。
しかし、実際は、そんなことを気にしている人達は非常に少ない。女性雑誌をめくれば必ず、血液型の性格判断という奴が載っているし、日本人の多くが、その尺度を最初の第一印象にすえる場合が増えているのも現状だ。
かの詩人のA氏ほどの人でさえそうなのだから、この傾向はこの幼稚な国ではなくなろうはずがない。
僕はいつまでたっても、O型の辻です、と言い続けなければならないか、もしくは席を立ち続けることになるのだろう。あなたの血液型は何型ですか?というたわいもない質問でさえ、その裏側に潜む個人主義への侵食は見逃せない。
人間のパターンは、人間の数だけ存在するはずだし、地球はそれら無数の個性で成り立っていることを忘れたくない。
相手を、もしくは他者を、それらのパターンから解放してあげる時に、信頼関係の新しい一歩が生まれるような気もする。




僕も学生時代「銀行員や公務員にはなりたくない。大企業も嫌いだ」などと、非常にステレオタイプな物の見方をしていた時期があり、今でも気付くと他者をステレオタイプに見てしまっていることもあります。
でもせめて、そんな自分自身の「ステレオタイプな物の見方」には敏感でありたいと、常々思っています。









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借地借家法第10条と行政書士事務所の話

2010年02月07日
ちょっとした用件があり、府中の運転免許試験場に行って来ました。

久しぶりに行ってみると、試験場の傍にたくさん並んでいた行政書士事務所が一つだけになっていました。

運転免許試験場前にある行政書士事務所は、入口のところで「こちらですよー!」などと誘導していたりして、「免許を更新するには、よくわからないけど、ここに入らないといけないのか?」と思わせる魔法の商売のでした。
しかしご存知のとおり、試験場の中で自分自身でちょちょいのちょいと書類を書けば済む話なので、そのような商売は当然廃れていく定めであったのでしょう。

ちなみに法務局前の司法書士事務所も、「登記簿謄本を取るにはここに頼まなければ!」と思わせる魔力を持っていて、登記印紙代以外に余計な手数料を払う羽目になってしまっていることに気付かない人たちも多くいたことでしょう。

さて、そんな府中の免許試験場前の行政書士事務所ですが、10年ほど前に火事で焼失したことがありました。
その時に、「借地借家法」第10条第2項の「掲示」のための看板が立てられているのを見て、「あー、これが例の『掲示』なわけだ・・・」と、感心した記憶があります。

これはつまり、借地に関して賃借権の登記をしていなくても、その上に建てた建物に関して登記をしていれば、借地権を第三者に主張できるところ、建物がなくなっちゃった場合はどうすんのか?という問題です。
その場合は、一定の事項を掲示していれば当面は借地権を第三者に対抗できる、というのが上記看板の意味するところなのですが、滅多に本物は見られないので印象的だったのですね。

(尻切れとんぼ)
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なぜこのBlogのURLは長いのか?

2010年02月07日
このBlogのURLが、「http://ooooooooooooooohyeah.blog95.fc2.com/」という、「o」がいくつあるんだかさっぱりわからないものであることに気づいていらっしゃる方もいるかと思います。

今日は、このURLになった顛末を簡単にお話します。

Blogをお持ちの方はもちろん、そうでない方もご存知かも知れませんが、「ooooooooooooooohyeah」の部分は、基本的に好きに決められます。
ただ当然、他の人とカブってしまってはいけないので、自分の希望通りに行くとは限りません。

Gmailやtwitterなどで皆さんも経験されていると思いますが、こういうのは早い者勝ちの世界なので、ありきたりのものはどっかの誰かにとっくに取られているものです。

URLというのは、そのサイトの顔のようなものでもあるので、できることなら内容に沿ったものが望ましいものです。
当然私も、「kigyouhoumu」とか「legal」とか試しました。ほかにも「hiro」とか、名前にちなんで「pacificocean」とかいろいろ試しました。
でも全部誰かが既に使っています。

そこでもう少し考えればよかったのですが、何を思ったのか私は「oh yeah」というものを試してみたのです。
しかしそれも使われていました。
そこでもう少し考えればよかったのですが、頭にきた私は「ooooooooooooooohyeah」と「o」をたくさん並べる暴挙に出たのです。

・・・そんな安易なことで、このBlogのURLは決まっています。
中身も安易なので、まぁいっか。

ちなみにtwitterの「@hiro_corleone」。
これも「hiro」はもちろん「hirohiro」も「hirohirohiro」もダメだったので、映画「Godfather」のコルレオーネファミリーから拝借して「corleone」と付けてみたわけです。
「何て読むかわからない」との声もあるし、意味もわからないので変えたいなぁ、と思いつつそのままになっています。
ちなみにアル・パチーノが大好きなので、「hiro_pacino」も考えたのですが、ちょっと問題がある気がしてやめときました。

私は重要なことを安易に決めてしまうところがあるのです。


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弁護士との付きあい方について思うこと

2010年02月06日
いつも拝読している「dtk'blog」のdtkさんが昨年の12月に書かれた、「お付き合いの仕方」という、いわば「企業法務担当者から見た弁護士の区分け」とでもいうべきエントリは、読みながら「そうだよなあ・・・」と思っていたのですが、最近とみに「本当にそうだよなあ・・・」と思うようになってきました。

以下、私のごく個人的な思いを、思うままに書かせて頂くので、気を悪くされる方や激怒される方や「訴えてやる!」と思う方がいらっしゃるかも知れませんが、このエントリーの趣旨を理解して頂ければ幸いです。


さて、上記エントリーでdtkさんは、お付き合いする弁護士(事務所)を、以下の5種類に分類されていました。


1. リーガル土方系:要するに人海戦術で対応する必要があるもの。大規模M&Aとかがわかりやすい。一定クオリティ/資格の人間が大量にいることが重要で、そこでは、一番上以外の弁護士の個性・能力が問われることは少ない(下っ端についてダメを出される可能性はあるけど)。その事務所に対するクライアント側の本音ベースでの評価が良かろうと悪かろうと、諸般の事情(コンフリクトの問題とか)で、使えるところが限られる場合もある。
2. 便利使い系:フットワーク(レスポンスの速さ)とキャラクター(相性)重視か。気軽に頼めることが重要。ベンチャーとかではまずここの弁護士を用意するところから始まるんだろうと思う。
3. 専門系:知財、独禁、金融、総会対応あたりがわかりやすいか。担当弁護士のバックグラウンド・経験重視というところ。
4. 老師系:それなりの大きさと歴史のある企業でありうるケース。人徳とその会社との付き合いの長さがポイント。下手な社員よりも企業カルチャーとかに詳しかったり、偉い人とも飲み友達だったりするケースも。方針とかについてご意見をお伺いするケースが多く、「この先生が言うんだったら」という格好で社内でも説得の材料としてご意見を使うこともあったりする。
5. 権威系:問題のある案件で意見書をもらって、会社側が外向けのディフェンスに使うようなケース。経歴と学識重視。



ちなみにdtkさんという方はblogでいつも控え目な発言をされていますが、その知見・見識は私など足元にも及ばないほど高いものを持っていらっしゃる方です。
もちろん私もdtkさんのことをそんなによく存じ上げているわけではないのですが、お会いしてお話させてもらったりする中で、「いやあスゴイな、この方は」と感じているわけです。

本題に戻り、弁護士の区分けというか、弁護士との付き合い方というものについて、私も最近いろいろと考えているのですが、その際に上記引用部分の、dtkさんの「区分け」がよく頭に浮かぶのです。

私の勤める会社はベンチャー企業ですので、dtkさんの慧眼のとおり、「2 便利使い系」という分類に属する事務所を顧問先としています。(「便利使い」などと言われたら怒るだろうなあ・・・)
とにかくレスポンスが早くて、幅広い業務を気軽に頼めるという意味においては、非常に助かっていますし、頼りにしています。
ただやはり、言葉は悪いのですが「便利使い系」の域を出ない。
頼むとすぐに応えてくれるし、広範囲の知識を持っているので取り敢えず何でも相談できるし、年齢的にも割と近い弁護士が担当してくれているので、気軽に相談はできます。
しかし、ちょっと「おりこうさん」過ぎるのです。

事務所自体の体質なのかも知れませんが、東大法学部卒をずらりと並べ、20代後半から30代前半にかけてアメリカのロースクールに留学に出し、戻ってきてしばらくするとパートナーにするという、一昔前の大企業のような人事戦略なのですね。

そうすると当然所属する弁護士も、「言われた仕事をしていれば大丈夫」という感覚になってしまうというものでしょう。
もちろんその事務所の全ての弁護士を知っているわけではないので、そうでない弁護士もたくさんいるのかも知れません。しかし少なくとも、私が話をしたことのある数人のその事務所の弁護士は概ね上記のような印象です。

確かに優秀で、私の拙い説明を素早く理解して整理してくれるし、よく勉強もしていて、日々遅くまで働いていらっしゃる。
しかし決定的に足りないもの、それはクライアントと一緒に問題に立ち向かうという「マインド」なのです。
もちろん私の普段の付き合い方に問題があって、「こいつのために一生懸命やるのはイヤだ」というような気持ちを持たれている可能性も否定できません。
でもね、顧問弁護士が「御社のビジネスについてよく知らないので」なんていつまでも言っているようでは困ってしまうのです。
質問したことに通り一遍の回答するだけ、では困ってしまうのです。


以前こんなことがありました。

ある問題に対して私から、「この法令のこの部分を適用すれば解決できるんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか?」という質問をしました。
そうしたところ担当の弁護士は忙しかったようで、司法修習を終えたばかりの若手にその仕事を振ったようです。
その若手弁護士は3日後くらいに、「この法令のこの部分」に関するレポートを送ってきてくれました。
「この法令の位置づけはこうで、こういう運用が予想されて、こう解釈するべきでしょう。」というようなことがびっしり書かれていたのですが、肝心の「それを適用すれば問題が解決できる可能性」については、「後日追ってご連絡します」とだけ書いてありました。
そして後日、「適用には慎重な検討が必要です」との回答が届きました・・・

事情もあって、当面はその事務所とお付き合いをさせて頂くのですが、大企業と違い顧問先を複数持つことなど考えにくいベンチャー企業にとっては、「便利使い系」といわれる(勝手にこちらが言っているわけで失礼な話ですが・・)事務所にももう少し、「熱いマインド」を期待したいというのは、贅沢な話なのでしょうか・・・

そんなわけで、大きな問題が発生した場合には、その都度違う弁護士に仕事をお願いする方式を採って凌いでいます。


以上、何だか愚痴っぽくなってしまいましたが、50キロのスピードでクルマが流れる通りを、制限速度30キロ厳守で運転するタクシーには乗りたくないのです。


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久保利弁護士と第三者委員会 -NBL920号から

2010年02月04日
読んでなかったNBLがたまっていたので、今週に入ってから一気読みしています。

気になる記事に付箋をぱーっと貼って、付箋を貼ったところだけ読んでいます。
そうしたところ6歳の長男から、「そんなにいっぱい貼ってたら意味ないじゃん」と、非常に鋭い指摘を受けました。
付箋の使い方もよく知らないくせに、生意気なヤツです。
しかし非常に的を得ているので、「そうだね」と素直に敗北宣言をしました。


色々と興味深い記事があって、その辺のことはまた改めて書きたいと思うのですが、920号(2010.1.1号)は、新年一発目ということで、これまた違う意味で興味深い記事がてんこ盛りです。

中でも「新春座談会 検証 第三者委員会」と題して、司会を含め4人の方々が、「第三者委員会」について話し合う企画はとても面白かったです。

というのも、「以前のエントリー」で、私はカブドットコム証券社員のインサイダー取引事件に関する「調査報告書」のことをボロクソに批判したことがあります。
その際の調査で第三者委員会の委員長を務めた久保利英明弁護士と、委員を務めた野村修也弁護士が、座談会に加わっていたからです。

ちなみに座談会のその他のメンバーは、消費者運動家という立場から、雪印メグミルク株式会社社外取締役の日和佐信子氏、司会が弁護士の國廣正氏。

上記のメンバーを見ると、話の流れがどうなっていくかはおおよそ見当がつくというものですが、それぞれの方がどのようなことを考えながら調査に取組んでいらっしゃるのか、第三者委員会はどうあるべきか、という議論はなかなかに面白いものです。

この座談会の本質とは離れてしまうのですが、久保利弁護士の以下の発言は引用せざるを得ません。


それから、(報告書を)公表した後になって、いろいろな人からブログなどで批判をされるではないですか。私は批判をされても、注目されて結構なことだと思う体質なので、打たれ強いからよいのですけれど、打たれ弱い人なんか頭を抱え込んでしまうと思うのですよね。



すみません、私です。
あまり他人の批判はしないように心がけているのですが、あの報告書はちょっと・・・

今回の座談会でも久保利弁護士は、強い思い込みと決め付けを連発されていて、それを野村弁護士がやんわりと修正したりしていて、行間を読むのが面白いのですが、久保利弁護士の以下の発言は、「あぁ、そうなのね」と思いました。


弁護士だけで調査委員会を作ったり、あるいは元検察官だけのチームというのは、本当はよくないというか、余り最強のメンバーではないのではないか。たとえばNHKのときにも、われわれは弁護士だけではなくて、メディアにいた方に誰か入ってもらいたい。メディアの常識でみて、このことは常識なのか、非常識なのか、弁護士にはわからないことを、その人に判断をしてもらおうとしたのです。あるいはメディアの方だったら、こんなところに土地勘があるではないですか。土地勘のある人を使いたいということで、私は弁護士の感覚だけでやると、かえって間違うと思っています。



ブルドーザーのように突き進む久保利弁護士ですが、客観的な視点から危機感は感じてらっしゃるようです。


ということで、今週中にNBLを読み終えて、たまっている「BusinessLawJournal」と「ビジネス法務」に取り掛かりたいと思います。



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経営の勉強をさせてもらっているのです。

2010年02月03日
今の勤務先に入社してもうすぐ2年になります。

入社したばかりの頃は会社がバタバタしていた時期でもあったので、その頃は1日20回くらい、社長に呼ばれて意見を求められたりしていました。

その後も法務マターについては、いつも「hiroさーん、ちょっと来てー」と呼ばれて意見を求められてきました。
しかしこの1年くらいはその領域を超えて、明らかに経営に関することまで「君はどう思う?」という質問を投げかけられます。

たいていの場合は、「ちょっと来て」と会議室に呼ばれ、「この件に関して君だったらどう判断する?」という質問をされます。
ここでは、「ちょっと時間を下さい」とか、「しばらく考えさせて下さい」などという返答は許されません。
明らかに、「今この場で答えろ」という、言葉が暗に含まれています。
そういう時の社長は、息を殺して、鋭い視線で僕をじっとみています。

だから僕は必ず、「私はこう思います」という回答をします。
そうすると当然、「どうして?」とくるので、自分が回答するに至った思考過程を話すことになります。

その回答を聞いた後、社長は特にコメントをしないことが多いです。
「わかりました」
とだけ言って、実際に僕が回答した通りのことを実行するときもあれば、そうでないときもある。


これらのやり取りは、まさに経営判断であって、最高の勉強の場になっています。
社長もおそらくは、僕を鍛えるために、このような時間をとってくれているのだと思います。


起業したい人は、ベンチャー企業の経営者の傍で学びなさい。


というようなことがよく言われますが、気付くと僕はそういう環境にいるわけです。
ありがたい話です。



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社長に言われたことをメモっておく。

2010年02月03日
社長直属の組織の長になったということで、先日、社長から「心構え」的なことをチラっと言われたので、ここにメモ。

・今後、部下が増えていくことになるが、「自分より能力の高い者を避ける人」や「自分より能力が大きく劣る者を嫌う人」になってはいけない。そのような人たちを含めて、どう人を使うかを考えろ。

・人が嫌がる仕事を部下に振るとき、「部下が嫌がるから俺がやる」というような安易なことをしてはいけない。

・「人を活かす法務・コンプライアンス」を心掛けてほしい。人を活かすというのは、その人の上司も活かすことだよ。

・人には自浄期間や敗者復活のチャンスを与えることも必要だよ。

・越権行為はいけないが、他部署の若手の相談にもどんどん乗ってあげてね。

・経営目線で見る、というのは経営者としての重さを感じることだ。

・「僕が証券会社で課長代理になったとき、『優秀な課長の仕事』をしろ、と言われた。」

・従業員は全員部下、というくらいに思っててね。


以上、雑多なメモになってしまいましたが、思い出した時に見直します。

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今日は電車が遅れるはず。 -電車遅延と危険負担

2010年02月02日
今日は雪が積もっていますね。
少し早く家を出ないと会社に遅刻してしまいそうです。

ところである知人が働く会社では最近ルールが変わって、

遅延証明書を提出しても遅刻として扱い、給料はその分引く!

ということになったそうです。

いつも時間ギリギリに出社しているという彼にとってこれは辛い・・・
このあたり法的にはどうなのだろうと思って、労働関係の本で適法性をチェックしてみました。

私は労働関係の法律に明るくないので知らなかったのですが、この、「電車遅延で働けなかった時に給料は支払われない」というルールは、単純に民法の「危険負担」で処理される話だったんですね。

というわけで、とりあえず法務の私としては彼の会社のルール変更に「仕方ないね」としか言えず。
ただ、やはりこのあたりは詳しくないのでよくわかりませんが、「労働債務の性質がうんたらかんたら」とか、「給与債権の性質からしてうんたらかんたら」とかいう理屈をこねくり回せば、新しい裁判例の一つも生まれるかも知れません。
法務としては、そのような訴訟が起きないようにケアしなければいけないのでしょうが、個人的には訴訟が起きたらどうなるか見てみたい気もします(笑)
調べてみると既に何らかの判例ないし裁判例があるのかも知れませんが。






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