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実家に帰って、両親のことを思う。

2009年09月22日
実家のある福岡に着いています。

実家とはいっても、今の実家(マンション)には住んだことがないので、「この壁の傷はオレがつけたんだよなぁ」などという、懐かしさは全くありません。

私は福岡県福岡市という、九州の中ではトップクラスに発展しているところに生まれ育ったのですが、福岡市内で何度か引越しをしています。
父親は商売をしているので、その店は幼いときから今でも同じ場所にあるのですが、その店と一体になった家に住んでいたこともあるし、その店から少し離れたところに買った家に住んでいたこともあります。

そして大学入学とともに東京に出て、ある日実家に帰ったら、実家が担保のカタに取られてしまっていた(笑)ということもあり、今ではマンションが実家です。
父親が友人の連帯保証人になっていたんですね。


「連帯保証人にだけはなってはいけません」


こんなセリフは弁護士を中心によく言われることではあります。
しかし一昔前の商売人は、銀行から借り入れをする時には必ず、親族以外の連帯保証人を立てる必要に迫られ、お互いに保証し合うということが常態化していたのです。
ですから、父親は求償権を行使するわけでもなく、「仕方がない」とその事実を受け入れたようです。

私はこの連帯保証制度や、会社が借入れをするときの個人保証が慣習化している現状は、日本の法制度・経済政策の大きな不備だと考えています。
その理由についてはまたいずれ述べたいと思います。


それにしても私の父親という人は、とてつもなくワイルド(だった)人で、今では好々爺然としていますが、昔はスゴかった。
喧嘩した相手の家にバイクで突っ込んだことがあったり、道が渋滞していると歩道を疾走したり、もう無茶苦茶でした。
僕たち子どもには一切興味がなく、僕が入学した高校名も、卒業間近まで知らなかったほどです(笑)

しかし家庭が荒れていたということはなく、母親の大きな愛に育まれて、僕を含めた三兄弟はすくすくと育ったわけで、今にして思うと、「ウチの母親はすごいな」というところです。
実際、僕自身がわが子を教育していく中で、「あぁ、オレの母親はこんなことを考えていたのか」と、自分が受けた教育の質の高さに驚くことがあります。

私の父親は中学卒業と同時に集団就職で福岡の田舎から福岡市に出てきて丁稚奉公をしていたそうです。
母親は広島から福岡に出てきて、福岡の高校を卒業しただけで、学歴は決して高くない夫婦です。
しかし私たち三兄弟は、特に私の兄と姉は、超難関大学を卒業後、大手企業に就職するという、当時としては最高のコースを歩んでいます。(もちろん「当時としては」であり、今でもそれが最高であることはないですし、私の価値観とは違います。念のため)
私は末っ子ならではの自由奔放な言動を繰り返し、兄や姉とは全く違う人生を送っていますが、これはこれで楽しんでいます。
これもひとえに母親の教育のおかげではないか、と考えています。


そんな家庭に育った私です。

せっかく実家に帰ってきたので、私自身のルーツである両親について少しだけ書いてみました。








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