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「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲

2010年10月11日
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法
(2010/09/28)
橘玲

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この本を紹介するにはまず、「はじめに」にある次の言葉を引用したいと思います。


自己啓発の伝道師たちは、「やればできる」とぼくたちを鼓舞する。でもこの本でぼくは、能力は開発できないと主張している。なぜなら、やってもできないから。
人格改造のさまざまなセミナーやプログラムが宣伝されている。でも、これらはたいてい役には立たない。なぜなら、「わたし」は変えられないから。
でも、奇跡が起きないからといって絶望することはない。ありのままの「わたし」でも成功を手にする方法(哲学)がある。
残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、たった二行に要約できる。

伽藍を捨ててバザールに向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。


なんのことかわからない?そのヒミツを知りたいのなら、これからぼくといっしょに進化と幸福をめぐる風変わりな旅に出発しよう。
最初に登場するのは、"自己啓発の女王"だ。



この"自己啓発の女王"というのが勝間和代さんであることは間違いないでしょう、というか、本文の1行目にはっきりとそう書いてあります。
とはいえ、著者は勝間和代さんを一方的に非難したりしているわけではありません。

ここのところとみに高まってきている、「自己啓発」に対する懐疑的な風潮を捉え、「自分を変える」とか「能力を向上させる」とかいうことの虚しさを唱え、より実践的な「幸福になる方法」を紹介しているのが本書の本質ではないでしょうか。

そしてその「幸福になる方法」を要約すると、

伽藍を捨ててバザールに向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。


この二つの言葉になるのです。


伽藍を捨ててバザールに向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。


この二つの言葉を解説することは簡単ですが、言葉の意味を知ることよりも、この言葉に辿りつくまでの思考のプロセスが重要ですので、あえてここでは説明するようなヤボなことはしません。
ただ、「伽藍」=会社、「バザール」=参加と撤退が自由な市場、と付け加えれば、勘の良い方であれば全てピンとくるかと思います。


さて結局のところ、本書は上記二つの言葉に全て要約できてしまうのですが、その結論を導くために、数々の事例や理論が紹介されます。
そしてその中心となるキーワードは「進化心理学」と「遺伝」です。

「進化心理学」とは、著者の説明を引用すると以下のようなものです。


ところがいま、精神分析に代わる新たな"こころの原理"が登場してきた。ダーウィンの進化論を、遺伝学や生物学、動物行動学、脳科学などの最新の成果を踏まえて検証し、発展させようとするもので、進化心理学(進化生物学、社会生物学)と呼ばれている。



このような「進化心理学」や「遺伝」によるプログラムが能力や性格に及ぼしている影響はあまりに大きく、人はまず変われない。
変われないことを前提として、どのようにして幸福を追求すればよいのか、というのが本書の大枠でしょう。


私の経験からすると、いわゆる「自己啓発書」というものにも、売れている売れていないにかかわらず、内容の優れたものとそうでないものがあるとは(当然ですが)思います。
そして全ての「自己啓発書」が胡散臭いわけでも、信用ならないわけでもないと思います。
相性や手にしたタイミングなど、様々な要因はあるかも知れませんが、「自己啓発書」から学んだことも多くあります。

ただ、問題は3つ。
一つ目は、あまりにくだらない内容のものが多数本屋に並んでいること。玉石混交で、ある程度量を読まないと、内容の良し悪しが判断できないかも知れません。
二つ目は、いつまでも「自己啓発書」ばかり読んでしまうこと。「自己啓発書」はカンフル剤のような側面も大きいので、効果が薄れると新しい「自己啓発書」を求めて似たような本ばかり読んでしまうことになりかねません。
そして三つ目は、「自己啓発書」を読んで実際にうまくいくかどうかは、センス(本書ではこのセンスを「能力」と呼んでいるのかも知れません)としか言いようのないものに大きく左右されること。

私のいうセンスというものと、著者のいう能力というものが同じようなものであれば、確かに「自己啓発書」を読んでみんなが「成功」するなどということは、ないでしょう。(ちなみに私は「成功」という言葉を曖昧に使うことがあまり好きではありません)

そして著者の言うように、

伽藍を捨ててバザールに向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。


という方法は、きっと正しいのでしょう。
そしてこの考え方は、センス(或いは能力)に何ら欠けることのない方々にとっても非常に有益な考え方だと思います。

国や地方、そして会社にも頼ることができないことがはっきりとしてきた今日、本書や、同じく橘玲さんが書かれた「貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する」は、私たちに大きな示唆を与えてくれるものです。

ただ惜しむらくは、論理の飛躍や議論のすり替え、極端な決め付けなどが若干目についてしまうことです。
そのため非常に興味深い話題が多く出てくるものの、部分部分で説得力に欠けるところがありました。

とはいえ、読んでおいて決して損はない一冊だと思います。


---------------(以下、10月16日追記)

著者はアメリカの心理学者の研究を紹介し、


①知能の大半は遺伝であり、努力してもたいして変わらない。
②性格の半分は環境の影響を受けるが、親の子育てとは無関係で、いったん身についた性格は変わらない。
もしこれがほんとうだとしたら、努力することにいったいなんの意味があるのだろう。


という。
そしてこの後、「知能」という言葉と「能力」という言葉を明確に区別することなく、「能力」開発の無意味さを説いている。

僕は、「知能」というものは確かに遺伝的要素が非常に大きいものだと思っている。
しかし「能力」というものは「知能」とは全く違う概念で、開発というと大袈裟な気もするが、努力によって伸ばすことのできるものだとも考えている。(もちろん人によって伸びにくい分野もあるとは思う)
その意味において、能力開発の虚しさを唱える著者の主張は、「違う」と思う。

なぜなら僕たちは「知能」を高めるために努力しているのではなく、知識や知恵を得るために努力しているのであって、知識や知恵を得ることによって、能力はかなりの程度向上すると思うからだ。


以上、「ビジネスブックマラソン」の書評(現時点では本書の書評はアーカイブされていないようです)を読んで、書き忘れていたことを思い出したので追記しました。
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「民の見えざる手」 大前研一

2010年08月31日
民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論
(2010/07/14)
大前 研一

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今回も相変わらずの大前節がいかんなく発揮されています。
相変わらずと言えば、相変わらずなのですが、大前研一さんの場合はブレないところが大きな魅力でもあるので、やはり本質的な部分は「相変わらず」であったほうがいいのでしょう。

とはいえ今回俎上に上がっているのは、2010年夏時点の国内外の政治経済です。
「相変わらず」のブレない大前節で、いま現在の政治経済が語られる本書は、読んでおいて損はないでしょう。


一部の経済学者などからは、「経済のことがわかっていない」「決め付けが多い」などと批判されることもある大前研一さんですが、彼はコンサルタントであって学者ではないので、そこはそれ。学術的な緻密さを求める場合は、別の著者の本を読めばいいのではないでしょうか。
少なくとも、
「大前さんはそういうふうに見てるのね」
ということをいつも楽しみにしている私のような人は少なくないはずです。


さて、手許に現物がないのでamazonから目次を引用します。


プロローグ 経済学は、もう未来を語れない
第1章 (現状認識) “縮み志向”ニッポンと「心理経済学」
第2章 (目前にある鉱脈) 拡大する「単身世帯」需要を狙え
第3章 (外なる鉱脈) 「新興国&途上国」市場に打って出る
第4章 (規制撤廃が生む鉱脈) 真の埋蔵金=潜在需要はここにある
第5章  (20年後のグランドデザイン)  「人材力」と「地方分権」で国が変わる
エピローグ そして個人は「グッドライフ」を求めよ



目次に出てくる言葉も、いつもの大前さんですね(笑)
とはいえ「超セレブな」というような表現をされているところもあり、対象としている読者層は20代から30代前半くらいの若手ビジネスパーソンだということが推測できます。

本書では、リーマン・ショックからギリシャ危機、そして日本での政権交代と菅政権の誕生といった、ここ2年ほどの間に起こった事象を踏まえたうえで、国内外の政治と経済が語られています。
たいていの本では、このようなときに引き合いに出されるのは、欧米+BRICsの話題がせいぜいなのですが、大前さんの場合はウクライナやマレーシアといった、他のビジネス書ではそう多く紹介されないような国についての現状も書かれているところがミソです。
エネルギッシュに海外に出かけていかれる大前さんならではでしょうか。

今回も「相変わらず」、ロシアとの良好な経済関係を構築しろ、中国との付き合いを大切にしろ、韓国人を見習え、といったお約束の話題も出てきます。
しかし興味深かったのは、「韓国はあと10年」という話。
日本以上に少子高齢化が進み、国内で積み重ねてきたものも多くないだけに、韓国の勢いはそう長く続かないだろう、というような話であったように記憶しています。

そしてエピローグでは、第5章までで語ってきた、日本と世界の政治や経済状況の中、個人が「どう生きるか」について述べられています。
この部分は、大前さんの他の著書などをよく読まれている方にとって、特に新鮮な話題はなかったように思いますが、「為政者がダメな以上、クーデターを起こすしかない」というような記述があり、少し驚きました。
読んでみるともちろん「武力によるクーデター」を推奨しているわけではありませんでしたが、私たち日本国民が個人でできる「クーデター」について、3つの方法が紹介されています。
そのうちの一つが、ハイパーインフレに備えて現金をモノに換えておき、長期固定金利で借金をしておけ、というものです。同様のことは随分前から藤巻健史さんもおっしゃってますね。
藤巻さんの場合は「ゆるやかなインフレが起きる」というような言い方だったように記憶していますが、やはりそれに備えておく必要性を主張していらっしゃいました。
(最近出版された『日本破綻 「株・債券・円」のトリプル安が襲う』は買ったまま読んでいないのですが、おそらく主張内容は変わってないのではないかと思います)

というわけで、大前研一さんのこの手の本は、定期的に出版され、定期的に読まれる、というのがちょうどよく、私にとってもほどよいお付き合いの仕方だと思っています。


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これはオススメ!遠藤周作が語る「文章術」

2010年08月29日
十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。 (新潮文庫)十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。 (新潮文庫)
(2009/08/28)
遠藤 周作

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このタイトル、キャッチフレーズとしても秀逸です。

「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」

タイトルからは何の本だかさっぱりわかりませんが、「そこまで言うんだったら買ってみよう」と思わずにはいられない不思議な力のある言葉です。
最近の「タイトルで煽るビジネス書」とは、言葉の切れ味が違います。

さて、かくいう私も1年近く前でしょうか。
書原という、このBlogにもちょくちょく登場する本屋さんで、レジ横に置いてあったこの本のタイトルを見て、2秒後には「あっ、これも下さい」と、精算中の本の山に追加してしまいました。
この本をレジ横に置く書原さんの売り方もうまいなあ、と感心したものです。


ところで買ってはみたものの、相変わらず何の本かはさっぱりわからず。
キン肉マンの終わりの歌で、


ヘのつっぱりはいらんですよ。


というキン肉マンに対して、


言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ。


と委員長が返すやり取りがありましたが、それを思い出しました。

そしてしばらく放置していましたが、最近ようやく読んでみました。
…これは面白い。
「遠藤周作の文章術」とでもいうべき一冊です。

そもそも本書が世に出た経緯は、1960年に書かれた原稿が遠藤周作先生の死後、2006年に発見され、それを書籍化したものだそうです。
2006年の原稿発見時にはちょっとした話題になったそうですが、私は知りませんでした。
少なくとも私のところには関係者から連絡がありませんでした。関係ないので当たり前ですが。


さてこの本、タイトルはまだ決まっていなかったようで、本書の書き出しの言葉である、
「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」
という一節がそのままタイトルになったようです。

上に書いたように、「遠藤周作の文章術」というような内容の本書ですが、体裁としては遠藤周作が「手紙の書き方」について面白おかしくまとめたものです。
1960年に書かれているので、当然 e-mail などあろうはずもなく、あくまで「手紙」の書き方について書かれているのですが、本質は同じです。
手紙はもちろん、メールを書くときにも十分参考になる普遍的な「文章術」です。

目次のうち、大項目だけを引用してみます。


序   一寸したことであなたの人生が変る
     ―人生の明暗を分けた、一寸したこと
第一講 筆不精をなおす一寸したこと
     ―筆不精、三つの大きな原因
第二講 手紙を書く時に大切な一寸したこと
     ―手紙の書き方には根本原理がある
第三講 真心を伝える書き出しの一寸したこと
     ―真心を伝えるコツは「相手の身になって」
第四講 返事を書く時に大切な一寸したこと
     ―良い返事は「読む人の心」を考えながら表現するもの
第五講 病人への手紙で大切な一寸したこと
     ―病人宛の手紙は、相手を十分思いやって
第六講 相手の心をキャッチするラブ・レターの一寸したこと(男性篇)
     ―恋人に手紙を書くには―
第七講 彼女に関心を抱かせる恋文の一寸したこと(男性篇)
     ―あなたに関心がない彼女への恋文の書き方
第八講 彼女を上手くデートに誘う一寸したこと(男性篇)
     ―デートを促す、手紙の書き方
第九講 恋愛を断る手紙で大切な一寸したこと(女性篇)
     ―断りの手紙は、正確にハッキリ、誠意をもって
第十講 知人・友人へのお悔やみ状で大切な一寸したこと
     ―相手の孤独感を溶かす、お悔やみ状のもっとも親切な書き方
第十一講 先輩や知人に出す手紙で大切な一寸したこと
      ―一寸した手紙や葉書で人生は大きく変る
最終講 手紙を書く時の文章について、大切な一寸したこと
     ―手紙を書く時の文章で気をつけたいこと



どうでしょう。
目次だけ見ると、昨今のお手軽ビジネス書によくある「文章術」と同じような印象を受けます。
とはいえ、同じようなテーマと目次であっても、そこは遠藤周作先生です。
それはもう、人間に対する洞察力の深さや文章の緻密さなど、「○○が書いた最強の文章術」などというようなものとは、わけが違います。

しかも面白い。
電車の中で読んでいると、不覚にも吹き出してしまうような箇所もちりばめられています。

例えばある架空の(?)学生A君が書いたラブレターを採点するという以下のくだりなどは、少し長いのですが面白いところなので引用してみます。


「拝啓。春日の候、益々、清栄の段、慶賀仕り候。陳者、平生は御無沙汰ばかり申上げ失礼の段、何卒、何卒お許し下され度し御座候。さて今回、悪筆を顧みず書簡をしたためお願い致した度き儀、これ有り候。―即ち、貴嬢来週日曜日、小生と共に喫茶談笑の機会をお与え頂ければ幸甚これに過ぎることなく・・・」

これはダメ。まことに気の毒でしたが第一番目のA君のこの手紙はダメの標本です。これではまるで移転通知か冠婚葬祭の下手な挨拶状。この学生は法科に学ぶ男だったので勢い、ガール・フレンドに出す手紙も区役所の税金督促状のような手紙になってしまったのかもしれん。しれんがこの税金督促状のような手紙をみて―もし、あなたがうら若いお嬢さんなら、心動かされてお茶につき合うだろうかね。「喫茶談笑の機会」など現代の若いお嬢さんを感動さすどころか「この人脳が弱いんじゃない」と失笑の機会を与え、挙句の果ては紙屑籠の中にポイと入れられること必定である。
皆さんのほうは、まさかかかる税金督促状的な手紙を書かれなかったと思いますが、この極端な悪文は次の過ちを犯していること、注意して頂きたい。
①知りもしない候文(そうろうぶん)で書いていること
(以下略)



上記は面白おかしく他人の手紙を採点しているのですが、ちゃんとこの後に、「ではどう書くべきか」という話が続きます。


次に「抑制法」という「文章道の第一原則」については、少し真剣に以下のように説明されています。


「夏のまぶしさや暑さを描くなら光の方から書くな。影の方から書け」
(略)
第一の抑制というのは自分の感情や気持ちを文章の始めから終りまで訴えないことです。
(略)
本当に心にかなしみがあった時に泪もでなくなるという言葉がありますが、我々はそうだと思うのです。感情をあふれさすより、それを抑制して、たった一すじ眼から泪がこぼれる方がはるかにその感情をせつなく表現するものです。



このあたりになると、「さすが大作家」と感心しきりなのですが、以下の「お悔やみ状」について書いている部分などは、遠藤周作ならではという優しさと思いやりの溢れる説明です。


ぼくはこういう場合、相手と同じような悲しみや苦しみをむかし自分が受けなかったかどうかを考えて、その時の思い出などを書くようにしています。
たとえば子供を失った知人には自分がむかし身内を失った時、どういうふうにたちなおろうとしたか、どういうふうにそんな苦しみを受け止めたかを書いてあげるとよいものです。
(略)
実際はどんな人間にも、どんな人生にも似たりよったりの不幸や悲哀が訪れがちなのですが我々はいざ自分がそういう破目になると、急に「自分だけがなぜこんな悲しい目をするのだろう」とか「自分だけが、どうして苦しまなければならぬのだろう」という孤独感に捕らわれるものだからです。
ですから相手のこの孤独感を我々ができるだけ溶かしてあげるのが、お悔み状のもっとも親切な書き方だとぼくは思っています。



さらに引用が続いて申し訳ないのですが、この部分は遠藤周作の考え方がはっきりと述べられていて興味深いところですので、ご容赦を。


「あなただけではなく、自分も同じような悲しみにあった」ことを相手に優しく知らせるのは一種の連帯感を相手に与え、その孤独から救います。
連帯感というようなむつかしい言葉を使いましたが、これはたとえばこんなことです。
病院に入院した人は多かれ少なかれ知っておられるものですが、たとえば手術をした患者の手を看護婦がじっと握ってやると、ふしぎに静かに眠りだすことがよくあるものです。
これは苦痛というものは今、申しあげたように孤独感をひき起こすので、誰かに手を握られているだけでも、彼はその人が自分と苦痛をわけ合ってくれているという安心感がえれれるからなのです。これが人間のもつ連帯感の原型だとぼくは言いたいのです。



解説に書いてあったのですが、本書は遠藤周作が肺結核で入院していた時期に書かれたもののようで、ここでいう「彼」というのは、遠藤周作自身のことを指しているように思えます。


なんだか随分長くなってきたので、この辺にしたいと思いますが、最後に無理やり一言でまとめてみたいと思います。
手紙を含め、誰かに読んでもらう文章を書くには「相手の身になって」書くことが肝要であり、そのためには人間というものを知る必要がある。
このことを、時には面白く時には真剣に語ってくれている本書は、メールを含め毎日文章を書いている現代人にこそ、本当に役に立つ一冊なのではないかと思います。
是非読んでみてください。

ちなみにこのBlogは、「相手の身になって」書かれてはいませんので「ダメの標本」です。
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「スランプに負けない勉強法」千葉博弁護士  ―変わることを恐れないことの大切さ

2010年04月20日
千葉博弁護士のブログについては、過去に何度か紹介させて頂きました。

ご存知の方も多いかと思いますが、千葉先生は非常に多忙な弁護士でありながら、司法試験受験予備校の講師としても、「受験界で知らない人はいない」というほどの人気講師です。

過去にこのBlogに書いたことがあるのですが、私は幸いにして、前職で千葉先生と一緒に仕事をさせて頂く機会を得ました。
それからというもの、千葉先生は私の「憧れの人」でもあるのです。

話をさせて頂くとすぐに気付くことなのですが、千葉先生の頭の回転の早さは驚くべきものです。
私の拙い説明を(大量の資料を読んだりしながら)瞬時に理解し、私が話をしているうちに既に千葉先生の頭の中には資料の内容を踏まえた「仮説」ができあがっているのです。

またいつもにこやかで物腰も柔らかく、優しく相槌を打ちながら話を聞いてくれるのが常です。
とはいえ、油断をしていると鋭い質問や指摘が飛んでくるので、ただニコニコと話を聞いて下さるだけではないのですが(笑)

さて、前置きが長くなってしまいました。
そんな千葉先生なのですが、今回はじめて、「法律と関係のない本」を書かれたそうです。

先日お会いした際に頂戴したのですが、あまり商売っ気のない千葉先生ですので、宣伝じみたことを勝手にするのは憚られますが、とても面白い内容でしたので、感想など書かせて頂こうと思った次第です。


1番難しい試験に合格させるプロが書いた! スランプに負けない勉強法 (どんな目標も達成できる!自分をマネジメントする30の習慣)1番難しい試験に合格させるプロが書いた! スランプに負けない勉強法 (どんな目標も達成できる!自分をマネジメントする30の習慣)
(2010/04/20)
千葉博

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フォレスト出版さんらしく、少々ショッキングな言葉が帯に並んでいたり、表紙が派手だったりするのですが、それはご愛嬌ということで。

さて本書は、タイトルこそ「勉強法」となっていますが、その内容は単なる勉強法に留まらず、私たちビジネスパーソンにとっても、仕事(やそのための勉強)に活かせる千葉先生式の考え方が、余すことなく披露されています。

私はこれまで、千葉先生のBlogは司法試験受験生に向けて書かれているような印象を持っていました。
しかし本書を読んで、千葉先生がBlogで書いていらっしゃる「勉強法」というのは仕事や日常生活にも応用可能な、普遍的な「モノの考え方」なのだということに気付きました。


ところで千葉先生は本書において、「自分をマネジメントする30の習慣」の一つとして、

「変わることを恐れない」

ということをおっしゃっています。


おそらくは、この「変わることを恐れない」ということが、千葉先生の最も伝えたかったメッセージなのではないかと、私は思っています。
2年前のエントリーで私は、自分自身が変わったことについて書いたことがあります。
そしてこのBlogを書き始めた理由の一つが、この「変わること」によってどん底とも言える状況から這い上がってきた自分の経験が、誰かの励みになればいいな、というものでした。

千葉先生が過去に自律神経失調症という、私と同じ病気を経験されていたことは、Blogを拝見して初めて知ったのですが、本書ではその時のエピソードがより詳しく書かれています。


突然、何の前触れもなく、「どーん」と、床が崩れ落ちるような感覚に襲われました。そして、いいようもない焦燥感と、吐き気がこみ上げてきて、いたたまれないような気持ちになったのです。



特に吐き気の症状が強く、実際に吐いたことなどなかったのに、「吐いてしまうのではないか」と不安で、どんどん行動範囲が狭まっていきました。



これらの症状は笑ってしまうほど、というと失礼ですが、私が経験したものと全く同じものです。
私も自律神経失調症で苦しんだときは、「吐いてしまう不安」から、電車にもバスにも乗れませんでした。
そのような辛い時期がかなり長期間にわたって続きました。

それが今では、仕事も勉強も、そして家庭も全てが楽しい毎日に変わりました(もちろんキツイこともありますが)。
それは環境やまわりが変わったからではなく、「自分が変わったから」だと思っています。

そしてたいていの人は(少なくとも私は)、「自分が変わる」きっかけは、大きな壁にぶつかった経験にあるのではないかと思います。
もちろんそのような壁にぶつかることもなく、順風満帆な人生を送っていらっしゃる方もいることでしょうが、私は痛い思いをしないとわからないバカちんなのです。
きっと司法試験などの難関資格の受験生の方々も、合格までの道のりで、千葉先生がいうところの「スランプ」を経験して、「自分が変わる」経験をしていくのかな、と想像するわけです。

ここで壁にぶつかったときに、さらに「一歩前に出る」ことによって、仕事や受験やもっと大きな試練を乗り越えていくことができるのでしょうね。
もちろん自分自身が「敗北」を認めるまではそのような試練も、単なる「過程」でしかありません。
諦めない限り、「敗北」や「失敗」はないわけです。

今回千葉先生の本を読んで、そんなことをあらためて考えさせられました。
司法試験受験生に限らず、仕事や人間関係などで壁にぶつかっている方には、一読をオススメします。

ちなみに千葉先生も書いていらっしゃいますが、自分の体力や気力が落ちていく傾向や予兆を知っておき、できる限りその前に対処することが、継続的に高いパフォーマンスを発揮し続けるには必要なのだと思います。
私は大したパフォーマンスを発揮できるわけでもないのですが、このあたりは気をつけていて、疲れが溜まったときの対処法をいくつか準備しています。


最後に「あとがき」にある千葉先生の言葉を紹介したいと思います。
このことをわかっているかどうかが、「結果を出せる人」になれるかどうかの分水嶺になるという趣旨のようです。


いざというときに、自分を信じる力があるかどうか。
チャンスがあったら素直につかむ力があるかどうか。
絶望の淵に落ち込まない自分がつくれているか。
仮に陥っても挫折しない自分を持っているかどうか。
立ち直り方を知っている自分であるかどうか。



人生に上り坂と下り坂があることを知っている人は強いです。
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「新潮日本文学アルバム 中原中也」 

2010年03月23日
中原中也  新潮日本文学アルバム〈30〉中原中也 新潮日本文学アルバム〈30〉
(1985/05)
不明

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「No Image」なのが非常に残念。
amazonさーん、写真載っけてくださーい!

この本は、1年くらい前から「そのうち買おう」と思い続けていたのですが、今回ようやく勢いで購入しました。

「ビートルズは武者小路実篤だった!」という、一年近く前のエントリー(結構今でもアクセスがあります)で、原田宗典さんにお会いしたことを書いたことがあります。
それ以来、武者小路実篤の詩が好きな僕ですが、原田宗典さんが紹介してくださった、「人間臨終図巻〈1〉」山田風太郎の中で紹介されている、中原中也の最期を読んだとき、あまりの切なさにクラクラしてしまいました。
(詳しくはココをご覧ください)

その中原中也の詩ですが、詩心のない僕にはよくわからないものも多いのですが、これから紹介する詩は、とても好きです。


帰郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
   縁の下では蜘蛛の巣が
   心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
   路端の草影が
   あどけない愁みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
   心置きなく泣かれよと
   年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ




室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの」とか、「うさぎ追いし かの山~」と、小学生の頃に学校で歌った「故郷(ふるさと)」など、故郷を歌うものは多くありますが、


あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ



という最後の一節は、あまりに強烈です。


さて、そろそろ仕事に行こ!

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