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なぜこのBlogのURLは長いのか?

2010年02月07日
このBlogのURLが、「http://ooooooooooooooohyeah.blog95.fc2.com/」という、「o」がいくつあるんだかさっぱりわからないものであることに気づいていらっしゃる方もいるかと思います。

今日は、このURLになった顛末を簡単にお話します。

Blogをお持ちの方はもちろん、そうでない方もご存知かも知れませんが、「ooooooooooooooohyeah」の部分は、基本的に好きに決められます。
ただ当然、他の人とカブってしまってはいけないので、自分の希望通りに行くとは限りません。

Gmailやtwitterなどで皆さんも経験されていると思いますが、こういうのは早い者勝ちの世界なので、ありきたりのものはどっかの誰かにとっくに取られているものです。

URLというのは、そのサイトの顔のようなものでもあるので、できることなら内容に沿ったものが望ましいものです。
当然私も、「kigyouhoumu」とか「legal」とか試しました。ほかにも「hiro」とか、名前にちなんで「pacificocean」とかいろいろ試しました。
でも全部誰かが既に使っています。

そこでもう少し考えればよかったのですが、何を思ったのか私は「oh yeah」というものを試してみたのです。
しかしそれも使われていました。
そこでもう少し考えればよかったのですが、頭にきた私は「ooooooooooooooohyeah」と「o」をたくさん並べる暴挙に出たのです。

・・・そんな安易なことで、このBlogのURLは決まっています。
中身も安易なので、まぁいっか。

ちなみにtwitterの「@hiro_corleone」。
これも「hiro」はもちろん「hirohiro」も「hirohirohiro」もダメだったので、映画「Godfather」のコルレオーネファミリーから拝借して「corleone」と付けてみたわけです。
「何て読むかわからない」との声もあるし、意味もわからないので変えたいなぁ、と思いつつそのままになっています。
ちなみにアル・パチーノが大好きなので、「hiro_pacino」も考えたのですが、ちょっと問題がある気がしてやめときました。

私は重要なことを安易に決めてしまうところがあるのです。


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「拍手」は地味に嬉しい、という話

2010年01月31日
たいていのBlogには、「拍手」というアイコンが表示されていると思います。

これは表示させたり、させなかったりと選べるもの(少なくともFC2は、そう)なのですが、あまり利用されていないのではないかと思います。

というのも、コメントが入った場合は「返事を書こう」という気持ちが強く働くので、コメントが入ったかどうかは割ときちんとチェックしています。(僕の場合はメールで通知されるように設定しています)

しかし「拍手」。
これは正直あまりチェックしていません。
時々思い出したように、「過去30日の拍手の数」を確認する程度です。

でも実はこの「拍手」、Blogを書いている側からすると結構嬉しいものなのです。

もちろんコメントもとても嬉しいことに間違いありません。
私の駄文に対して何らかのコメントをわざわざ寄せてもらえる、というのは、Blogを書くことの醍醐味の一つでもあります。

しかし「拍手」は若干毛色が異なります。
どこのどなたかわからないけど、私の書いたものに対して拍手をしてくれているのです。
これは実にありがたいし、嬉しいことです。

昨日も一つ、どなたかわかりませんが拍手をして下さっていました。
僕はこのような「気付くと拍手をしてくれている方」を、「足長おじさん」か「小人の靴屋さん」に対する感謝の気持ちのような感覚で見ています。


そんなわけで、この場を借りてお礼を。

「拍手」をして下さっている皆さん、どなたかわかりませんが、ありがとうございます。



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(2月2日追記)
このエントリーに「拍手」して下さってる皆さん、ありがとうございます(笑)
史上最大の拍手数になっております。

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「彼」のこと

2009年11月22日
「彼」とはまだ会ったことはない。

Web上で知り合い、PCのモニターに写し出される文字を通してしか、僕は「彼」のことを知らない。
でも僕は「彼」の文章を読んで、「彼」の優しさやユーモアや聡明さというものを知っている。
そしてきっと、「彼」と僕とはとても気が合うと信じている。
会ったことはまだないけれど、生涯の親友になれるんじゃないかと勝手に思っている。


ところで「彼」の父親が重い病気であることは、以前、「彼」の文章を読んで知っていた。
その時に、「彼」の父親に対する思いに触れて、とても感動したことを覚えている。


ここしばらく、「彼」の文章がWeb上に現れることがなかった。
「もしかして・・・」と思うこともあったが、「彼」を知る人に聞いたところ、「彼」はとても忙しい身だという話だったので、それで納得していた。


今日の夜、Web上に久しぶりに彼が帰ってきていることに気付いた。
そして「彼」の父親が亡くなったということを知った。

「彼」はきっと、よく知りもしない人になぐさめの言葉を掛けられることを望んではいないと思う。
僕が「彼」の立場だとしても、やはりそれは同じだろう。

だから僕は、このことに触れることをとても迷った。
でも、僕は少しでも「彼」の力になりたいと思っている。
もしかすると、触れないことが「彼」の望むことかも知れない。
ただ、親しい友人の身内に何かあったとき、何の役に立てなくても、せめて自分の気持ちを伝えることくらいはしたい。
そう思って、今、この文章を書いている。



僕は幼い頃、母親に暴力を振るう父親を憎んでいた。僕の兄は、違う理由もあって僕以上に父親を憎んでいた。
その頃の僕にとっては、母親が全てであり、母親を守ることが僕の役目だと思っていた。

18歳になって僕が東京に出てきた時、3人の兄弟全員が地元を離れてしまったことから、母親は精神的に不安定になってしまい、そのせいか今でも薬を飲まないと眠れないようになってしまった。
しかし大学生時代の僕は、母親から電話がかかってくるのが疎ましく、いつも面倒くさそうに電話を切っていた。就職の時にも母親からの助言に一切耳を貸すことはなかった。

そして僕が社会人になって2年目の頃だったと思う。
父親から電話があり、母親が入院して大きな手術を受けていた、ということを聞いた。
母親は、子供に心配をかけたくないから一切連絡をしないように、と父親に言っていたそうだが、父親もさすがに心細くなったのか、手術後ではあったが、僕たち兄弟に電話をしてきた。
僕はすぐに実家に飛んで帰った。
疎ましく思ったりする時期もあったが、それでもやはり僕にとって最も大事な存在は母親だった。
何度か道を踏み外しそうになった時にもなんとか道を外れずにやってこれたのは、母親が注いでくれた愛情を裏切ることだけはできないという思いがあったからだ。

入院している母親の見舞いに行った後、父親と(たぶん初めて)二人で酒を飲んだ。
ほとんど何も話さなかったように思う。黙々と刺身をつつきながら酒を飲んだ。

その頃から僕は、大事な人といつ別れの日が来ても後悔しないように、自分の気持ちをできるだけ相手に伝え、自分ができる限りのことをするようになった。
正確に言うと、幼い頃からそういう気持ちはあったのだが、よりその気持ちが強くなった。
両親を初めての海外旅行に連れて行ったのも、そんな気持ちからだ。

今、僕は毎朝、保育園に子供たちを送るとき、抱きしめてキスをしてから別れる。よその親から見たら少し奇妙に思えるかも知れない。長男は周りの目を気にする年頃になってきているので、友達の手前、少し恥ずかしそうだ。
妻と駅で別れるときも、妻が見えなくなるまで見送っている。照れくさいので少ししか手は振らない。
歳をとってすっかり好々爺然としている父親や、相変わらず子供や孫に愛情を注ぎ続ける母親には、忙しくてもこまめに電話をし、できるだけ多くの話をするようにしている。

でも僕はわかっている。
たとえ大事な人に対してきちんと愛情を伝え、自分が今できる限りのことをしていたとしても、いざ別れの日がきたときには、「もっと何かできたはず」「こういうことをしてあげたかった」と、自分のできなかったことを見つけては悔やむものだろうと。



人は、自分が幼い頃自分を育んでくれた家族から離れ、いずれ新しい家族を持つ。
運がよければ最愛の子供を授かることもあるだろう。それは本当に幸いなことだ。
そして少しずつ、幼い頃の家族から新しい家族へと、より大きな愛情を注ぐようになる。
それはきっと別れの準備でもあるのだと思う。
親や兄弟という、何にも代えがたい大切なものを失ったとき、新しい家族に囲まれていれば何とかやっていけるだろうと、僕は想像する。



「彼」には奥様とお子様がいると聞いている。
きっと家族に支えられながら日常に戻り、また、優しくてユーモラスで聡明な文章を書き始めてくれるだろう。

僕はいずれ近いうちに「彼」と直接会って、他愛もない冗談を言い合ったりしたいと思っている。










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どこのどいつかわかると書きたいことが書けなくなることについて。

2009年11月21日
ビジネスロー・ジャーナルの読者交流会に参加した話を先ほど書いたのですが、名刺交換をしていると、「あっ!どうもお世話になっています」とおっしゃる方もちらほらいらっしゃいます。

というのも私の勤める会社は、ある特定の分野においてはリーディングカンパニーといってよいのだろうと思いますが、知っている人は知っている会社なのです。
決してメジャーではありませんが、特定の分野(その分野を書くと会社がわかってしまう)で、かなりのプレゼンスを発揮しているので、最初に書いたような事態が生じるわけです。

今日(正確には昨日)の交流会でも、思いっきりお客様にあたる方と名刺交換をして、どうもこのブログの存在も察知したご様子。
そうすると私の勤める会社に知られる可能性も高いわけで、会社との守秘義務契約上、書ける範囲が狭まってしまいます。

うーん、ジレンマだ。


でもまあ、眠いから寝てから考えます。




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twitterを始めて一週間経ちました

2009年10月17日
twitterでつぶやきはじめて一週間ほどになります。

初めは右も左もわからない世界でした。
例えていうなら、

どっか未開の国のお葬式に突然一人で参加することになって、死者が横たわる前で皆が順番に何やら意味のわからない身振り手振りをしながら、哀悼の意を表している。
自分も何かそのようなことをしたいのだが、身振り手振りの意味がわからないし、決して失礼があってはいけない。

わかりづらいか(笑)

つまりは、みんな何だか当然のように使いこなしている「RT @hiro」みたいなものの使い方がさっぱりわからず、他人のやり方を観察していても、どうも統一性がないような気がするし、おかしな使い方をすると「なんだコイツ」と思われるんじゃないかと、そんな戸惑いを覚えていたわけです。
でもさきほど初めて、「RT @katax」という記載をしてみました。(kataさん使い方間違ってたらごめんなさい)


初めは法務系ブログで時々交流させてもらっている方々をフォローしてみました。
続いて何人か、法務系ブログに限らず、ブログで情報を発信していらっしゃる方の中から「この方は!」という数名の方をフォローしてみました。
気づくと僕をフォローして下さっている奇特な方(失礼!)が数人いらっしゃったので、「こちらこそよろしくお願い致します」といった気持ちから、その方たちをフォローしました。


そんな感じで一週間がたち、15人をフォローし、9人にフォローして頂いている、という状態に至っています。

まだまだ全然使いこなせていないのですが、dtkさんの教えを忠実に守りつつ、日々精進しております。

ただ、twitterにログインするといつも「iso」というオレンジ色のマークがズラっと並んでいて、なにやら難しい話を、複雑な「RT」の使い方を駆使しつつ、つぶやいていらっしゃるので、つい怯んでしまう僕であったりします。

少し面白くなってきたので、当面は続けてみるつもりです。



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